【大紀元日本2月15日】
「爆竹の音が去る一年を見送り、正虎が帰宅して新年を迎える」。2月14日、上海出身の人権活動家・馮正虎氏(55歳)はTwitterで、日本から帰国後二日目に迎えた旧暦新年について、こう語った。
自分で手に入れた虎年と言える。中国でかつて人権擁護活動をしたため当局に監禁された経歴がある同氏は、昨年4月に来日、その後中国へ帰国しようとしたが、8回にわたって中国当局に入国を拒否された。中国に帰る権利を主張するため同氏は、昨年11月から成田国際空港の制限エリア内で寝泊りし、92日間の「籠城」戦を通してやっと帰国する権利を勝ち取り、今月12日に念願の帰国を果たした。
「明らかに虎がいると分かっていながら それでもわざわざその山へ向かう」(明知山有虎 偏向虎山行)。中国のこの有名なことわざで馮氏がスタートした「籠城」戦の行動は比喩されている。馮氏自らの言葉では「家に帰る道は自分の足で歩むしかない」というのだ。
12日、馮氏は成田空港から日本航空便に搭乗し、昼ごろに上海浦東国際空港に到着したが、空港に集まった報道関係者や同氏の支援者の前には姿を現わさなかった。中国当局の手配で特別出口から、当局の車で自宅に送られたことが、同氏の兄・馮正龍氏の話で判明した。
本人の話によると、現在、共産党当局の関係者と見られる人が同氏の自宅付近に待機しており、監視カメラの設置などを通して監視されているという。「日常の行動を妨害しない限り、気にしていない。却って家の安全には良いかも」と本人が皮肉った。
同氏は、すでに北京の人権弁護士に委託して上海出入国管理局に対して訴訟を起こす行動を取っていると話す。また、中国が法治国家になるまで引き続き人権擁護活動を行う決意を示した。
民主活動家の妻「夫と最後の抱擁」
虎年の「春節」は、バレンタインでもある。北京市在住の劉霞さんにとっては、これからの11年は、夫の劉暁波と長い別れの始まり。
「会議室で大きいテーブルを挟んだ対面。最後に彼との抱擁を要求した。夫との長い抱擁。それだけですでに満足している。これからの11年は2度と彼に触れることができないかもしれない」。11年の判決を言い渡された夫との大晦日の面会の様子を、劉霞さんが香港紙「明報」に語った。
49歳の劉霞さんは夫の劉暁波氏と知り合って20数年、結婚11年になる。その間当局とは異なる政治言論を公に主張する劉暁波氏は何度も刑務所に監禁された。劉霞さんは毎月一度、北京から夫が監禁されている大連市に足を運び、夫を支えていた。
これからの11年をどのように送るかについて、夫の本の収入と家族の支えで経済的には問題はないと話す。「現在考えているのは、夫が何処に監禁されても、毎月の訪問日に必ず訪ねること」
路上での「年夜飯」=北京の直訴者
大晦日の北京市は爆竹のにぎやかな音で溢れた。例外は北京市南駅。警察とパトカーが見張る高い緊迫感だった。
ここは、全国各地からやってくる直訴者の集合地。その日の昼ごろ、数百人の直訴者が集まり、夜の行動について話し合った。泣く人もいたが、国家リーダーらに新年の挨拶をすれば何か食べ物が手に入るかもしれないと話す人もいた。
海外中国語市民報道サイト「博訊」によると、ネットユーザーによって設立された直訴者支援ボランティア団体「陽光公益」が昼ごろ、南駅で直訴者に食品を配ろうしたところ警察に連行された。また、同団体が同日夜、近くのレストランで直訴者を招待するために200人前後の食事会を計画したが、予定されたレストランが警察に強制閉店されたため食事会がキャンセルされた。同団体の責任者劉安軍氏も家まで監視されていた。
約30人の上海からの直訴者が、警察と直訴阻止機関の捜査を潜り抜け、付近のあるレストランで食事会を開いた。
多くの直訴者が付近のマーケットで捨てられた野菜や肉を拾い、一年で最も大事な大晦日の夜の「年夜飯」を路上で作って食べていた。そして、地下の通路で寒い夜に耐え虎年の朝を迎えた。
また、上海からの直訴者4人がその日、北京に入り、直訴者阻止部門の検査を潜り抜け、市内の総理官邸に入ろうとした。付近で見張る警察に発見された、連行された。
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