北京オリンピックについて

2008/07/31
更新: 2008/07/31

【大紀元日本7月31日】北京オリンピックが近づき各種の報道が増えている。壮麗な施設、厳重な警戒網、果ては対空ミサイルまで登場し、膨大な人数の人民解放軍、公安、警察やボランテアが動員され、テロ、破壊活動、サボタージュ防止に懸命という。

北京では民工の帰省強制、民主運動家や請願者達の大量拘束のみか最近では交通機関の利用に至るまで身分証明書やパスポートの提示を求める動きすら伝えられている。真偽の程は不明ながら、オリンピック期間中、手術の延期や液体の医療品の輸送が途絶するという話まである。勿論、オリンピックが平和裏に進められることは開催国の義務であろうが、それにしても極端に走り恰も戒厳令下のような動きには些か違和感を覚えるのは筆者だけではあるまい。オリンピックは四年に一度の世界のスポーツ祭典であり世界中から大勢の人士が訪れる。中国当局が大国として世界に国威を誇示する絶好の機会でもあり肩に力が入り、内外に共産党独裁の成果を称揚したい気持は分からぬでもないし、国民が「加油中国」と叫ぶのも理解は出来るが、愛国主義も聖火リレー以来、些か度が過ぎるような気がする。

日本での最近のG8サミットでも空前の厳重な警護が行われたし、各国の元首や首相が訪中する以上はアルカイダや各種の過激なテロ組織に対する厳重警備が必要なことは良く分かるが、今回の一連の動きを見ているとどうも中国当局の真の狙いは国際的なテロよりむしろ中国人民そのものが警戒の対象になっているのではないのだろうか。

少なくとも民主運動家や法輪功が過激なテロに走る可能性がないことは中国当局が一番良く知っていることであろう。人口も多いだけに国家転覆なる過激な思想に走る人達も零ではなかろうが、中国人が中国人相手に無差別テロを多発するかも知れぬという発想の根拠は奈辺にあるのだろうか。チベット、ウイグルの人達の中にはオリンピックを抗議の絶好の舞台と考える人達もいるであろうが、大量無差別テロは却って彼等自身の墓穴を掘るに等しい行為であることは自明であり、精々平和なデモではなかろうか。何でも三か所の公園や広場に限りデモを認めるという話もあるが、まさかチベット人やウイグル人がデモをする届けを出した途端拘束されるのが明らかな事前申請をするとも思えない。精々、官製の小規模なデモがいくつか行われるのが筋書きであろう。仄聞するところではインターネットでも規制が厳しくなり、報道の自由についても、案の定、羊頭狗肉のようだ。

IOC会長が西欧諸国が2世紀を要した経済発展を僅か数十年で成し遂げつつある中国を西欧と同じ物差しで測るのはアンフェアというコメントをしたそうである。その意見に異論を唱えるつもりはないが、名実共に大国となりオリンピック開催国である以上、ある程度世界が納得するだけの環境を提供するのが主催国の義務であろう。

上訴村を撤去し地方人民政府に上訴を処理せしめるという通達も、考えて見れば地方政府が相手にしない故に中央政府に直訴する以外選択肢のない実情をどう考えるのか、人権、報道の自由、法治の遅れ、人治の蔓延、貪官汚吏の跳梁が無数の暴動や争議の原因である以上、中国当局の施策には糊塗や矛盾が多過ぎる。中国歴代王朝は蛮夷に対し中国の富厚を示し国威の誇示を図ったが、中国共産党のしていることは文字通り大同小異ではないか。せめてオリンピックを契機に人権、法治に進み、積年の矛盾、弊害、軋轢の根本原因である共産党独裁から民主化に進んで欲しいものだ。

情報操作や封鎖は最早不可能である。例え今回、金メダルの数だけでは世界一になろうとも、本来の主人公である民衆の不満が解消されぬ限り不安定要因は解消しない。今や世界一とまでいわれるネチズンつまり憤青達も最早、黙ってはいないであろう。既に人類史上、空前絶後の巨大政党から40百万を超える脱党者が出ているのだから。共産党中央の領導達の英断を期待したいものである。このままでは混沌を避けられぬこと領導達は正視すべきであろう。かけがえのない13億の民の命と生活が掛っているのだ。今回の北京オリンピックが中国の民主化の真のスタートになるよう祈りたい。