【大紀元日本10月29日】中国安徽省の政治協商委員会常務委員・汪兆鈞氏(60)はこのほど、胡錦濤・国家主席、温家宝・総理宛の公開状を発表し、法輪功弾圧の即時中止や、政治改革の実行などを求めた。
4万字に及ぶこの公開状では、現在、最も早急に実行すべきことは法輪功弾圧の中止と被害者への賠償であると指摘している。また、中国社会に「多くの爆弾が存在」と指摘し、中国経済の「高度成長」が招いた資源と自然環境への破壊や、不動産バブル、国営企業の改革、社会の不公平問題、政府による情報封鎖およびメディアの機能喪失、台湾問題と国内の政治改革などにも言及した。
公開状では、「信仰の自由は、全世界の普遍的共通価値だ。国連の『世界人権宣言』および中国の憲法も関連の規定がある。『六・四天安門事件』以降、_deng_小平の後継者は一党独裁の統治を継続するため、いかなる非共産党組織も『不安定要素』と定め、『芽の段階で消滅させる』と宣言し、法輪功のような民衆の気功団体をターゲットにし、見せしめのため弾圧を始めた。相手が納得せず、真実を伝えるが、それはますます不敬と見なされ、様々な迫害を行ってきた」と述べ、「これは法輪功を対象にするだけではなく、全国民への弾圧だ。即座に中止すべきだ。また、国は被害者に賠償を行うべきだ」と求めた。
具体的な解決策として、現政権に対し、「代表を派遣し、法輪功と話し合い、弾圧を発動した当時の指導者の刑事責任を追及する」と提案、その目的は、中国の民主化発展をより早く推進することだと説明した。
今の中国社会には、人権および公民社会の人権意識が乏しいことを指摘し、「このことが原因で、山西省での奴隷工事件が発生した。中国当局に対し、国民による支持、社会の不正を監視する制御が欠如しているため、この政権には内在的な機能が乏しく、ズボラで、腐敗、表面的なことばかりをやっている」と分析した。
「今日、中国共産党は国内で60年近く執政してきた。この政権がどれほど実績を称えても、自己の正確性をどれほど論証しても、すべての人の口を封じ、制御する宣伝道具で自己の賛歌をどれほど歌っても、あの手この手を使って国民にどれほど美しい約束を出しても、実際は中国社会における激しい対立がすでに広く現れ、しかもますます激化している。中国は不安定で、ますます不調和になっている」と述べられている。
また、同氏は、いまの中国の国家制度と政権は国民を代表しているのではないとし、この制度と政権下で誕生する指導者が人民を率いて制度改革を行わなければ、これは、この国の大きな不幸と指摘している。
汪氏は、胡錦濤・温家宝政権に対し、政治改革の実行や、全社会における対話体制の構築、言論自由の開放、すべての政治犯の釈放、国外の民主活動家の呼び戻し、連携による民主中国の立ち上げなどを呼びかけ、「中国で民主的な立憲政治を実行しよう。これは今の中国が歩むべき道だ。このことに貢献する人は、中華民族の英雄になり、それに反すれば、民族の罪人になる」と主張した。
汪氏は公開状で最後に、いまは、偉大なる人物を創りだす歴史的な局面だと指摘し、 「中国のゴルバチョフの出現を期待している。中国のエリツィンを期待している」と訴えた。
汪氏は公開状にて、自己の経歴も詳しく紹介した。文化大革命中の実体験や、それを機に心が目覚めた様々な心情を詳細に記述した。中国の現在の重要問題について、自己の意見を呈し、2人の最高指導者と直接対話を試みようとしていることは言論自由のないこの国では、最大の不敬とみなされ、さらに自分が提案している改革が多くの高官を敵にまわすだろうと心情を明らかにした。慣例によれば、このような(反抗的な)自分は、必ず(中国当局に)醜悪化され、妖怪のように宣伝され、最終的に、肉体と精神の両面で消滅されると述べ、「中国において、このようなことは決して珍しくない、関係者の調査に用いる時間を省くために、自ら自分のすべてを大衆に曝す」と個人の経歴を記載する経緯を説明した。
【汪兆鈞氏の経歴】ごく普通の知識人の家庭で生まれ、両親は幼いときに亡くなったため、5歳のときに北京市に移り、他家で育てられた。成人して文化大革命を実体験し、軍に服役もした、中学校の教師を務めたこともある。1982年、北京市電力学院を卒業、1983年、安徽省で兆鈞・食品工場を設立、パンの生産を始めた。その後、食品開発の研究所を立ち上げ、後に、30以上の国や地域で販売される食品機械を独自開発するなど、事業で大成功を収めた。また、安徽省政治協商委員会の常務委員にも当選し、2002年には、民間企業の優秀実業家に選ばれた。