【大紀元日本6月14日】豪州のダウナー外相は6月13日、豪州に訪れているダライ・ラマ14世(*)について、中国政府がダライ・ラマの豪州訪問に反対しているが、中国側は豪州の自由政治制度を尊重すべきであると表明した。
豪州在住のチベット人らと交流するダライ・ラマ=2007年6月12日、キャンベラで(GREG WOOD/AFP/Getty Images)
報道によると、今年71歳高齢のダライ・ラマ14世は、6月6日に豪州入りし、11日間の訪問を始めた。情報筋によれば、豪州のハワード首相は、ラマと会談する可能性があるという。
中国外務省の秦剛・報道官は12日、豪州政府に対し、「中国政府は、ダライ・ラマが豪州で中国を分裂させる活動を行うのを許可したことに反対する」と表明し、「ダライ・ラマは単なる宗教人物ではない、長期に国外に逃亡、祖国を分裂させ、民族の団結を破壊する活動に従事する政治亡命者」と発言した。
また、秦剛・報道官は、豪州政府が中国当局の原則と立場を無視していると非難、「我が政府を代表して、強烈な不満と強い反対の意思を表明」と発言した。
中国当局の反応に対し、豪州のダウナー外相は、ダライ・ラマは豪州では重要な宗教人物として認識されていることを、中国当局に対し幾度も説明したことを明らかにした。
同外相は、「豪州は全世界において、最も偉大なる自由・民主の国家の一つ。ダライ・ラマのような人物は、いつでも豪州を訪問できる」と述べ、「明らかに、彼がわが国に滞在する間、どなたかが彼と会談したいのであれば、我が政府が自ら決定を下す」と強調した。
また、「我々は、中国当局がチベット問題において、国際社会の通常の人権基準を遵守するのを期待している。と同時に、チベットの伝統文化が尊重・保持されるのをも願っている」と同外相が発言した。中国当局に弱腰とも指摘されている同外相は、「我々も、チベットが中国の一部であると望んでいる」と補足説明した。
一方、ダライ・ラマ14世は12日、豪州の全国記者クラブで、「今回の訪問で、チベットの独立問題に支持を求める意向がない」と述べ、「私において、如何なる政治目的もない」と語った。
中国は、現在、豪州の最大の貿易パートナー。中国のエネルギーへの需要は、豪州の炭鉱業にとって非常に重要である。
ダライ・ラマ14世は、1989年に、ノーベル平和賞を受賞、チベット仏教の最高指導者である。
編集者注:
1950年に中国人民解放軍がチベットを侵攻、1951年には中国当局とチベット政府「ガンデンポタン」は「中央人民政府と西藏地方政府の西藏平和解放に関する協議」(いわゆる「十七か条協定」)を締結し、チベット全域が中国当局の実効統治下に組み入れられた。この協定では、ひきつづきガンデンポタンによる「西蔵」統治(ダライ・ラマが、宗教と政治の両方の指導者として戴く体制)の継続を認め、「チベット」においては「改革を強要しない」ことを明示するものであったが、1955年、チベットの一部の地区において、中国当局が「民主改革」や「社会主義改造」を始めた。1959年には事態は一層悪化、人民解放軍のダライ・ラマ14世に対する観劇招待を、ダライ・ラマ拉致の口実と疑ったラサ市民が夏の宮殿ノルブリンカ前に集結、人民解放軍による解散要求の後、ダライ・ラマ14世はラサを脱出した。ダライ・ラマ14世は、国境を越える直前、「チベット臨時政府」の樹立を宣言し、インドへと亡命した。それに追随して、政府ガンデンポタンのメンバーらをはじめ多くの僧侶や一般農牧民たちがインドなどに亡命、十数万人から成る亡命チベット人社会を形成するにいたる。また、この動乱により数千を数えた寺院が人民解放軍の攻撃により数百に減ってしまい、仏像などにも深刻な被害が出たとされる。
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