中国人民解放軍、大量の装備品が「紛失」横流し

2007/01/12
更新: 2007/01/12

【大紀元日本1月12日】中国人民解放軍軍需庫に保管されていた、戦闘機、戦車、装甲車、小銃、戦略用燃料、大量の野戦ベッド、軍靴などの軍需物資が、忽然と「消えて」転売されていた事実が判明した。

香港月刊誌「動向」によると、中央軍事委員会の監督下にあり、総参謀部、総装備部、総後勤部、軍事規律委員会で構成される「2004-5特殊案件調査チーム」が、二年半の調査を経て、追及し証拠を固めた結果、結論として、陜西省寶雞、雲南省東川、四川省南充、湖南省麻陽、広西族自治区蒙山の各軍需庫に保管されていた、廃棄処分、不用品、もしくは後送処分した装備品が盗み出されていたことが分かった。

「2004-5特殊案件調査チーム」は、中央軍事委員会の隷下にあって、2004年5月初旬に成立、中央軍事委員会曹剛川副主席(国防部長)を責任者として、総後勤部の温光春・常務副部長、総装備部の朱發忠・副部長、軍事規律委員の孫忠同・書記ら四人の肝いりで結成された。

調査チームの報告では、上述の五大軍需庫における横領は、軍、地方政府、企業が癒着結託した結果で、監督管理が長期にわたってなされず、保管制度が「なし崩し」になった後に発生した。

報告ではまた、問題が早くも2000年から発生し、軍装備部が後送処分として報告した航空機をアルミニウム合金として企業に転売、小銃までもが市場に出回っていた。当時の調査結果では、「規定通り正常処理」「関係部門の批准済み」などとなっていた。

以下は、調査チームが明らかにした「驚くべき」内容である。

①「ミグ15戦闘機」360機が、アルミニウム合金として密売

陜西省寶雞の軍需庫に保管されていた後送処分の「ミグ15戦闘機」385機は、目下25機しかなく、これは2000年に航空学校が装備品を更新したために後送処分したものだ。残りの戦闘機360機は、アルミニウム合金として密売され、転売記録は全て焼却されていた。戦闘機1機の製造コストは、250-300万人民元だが、アルミニウム合金として僅か1万5000元で転売された。

②戦車1800両余りが、分解され密売

四川省南充の軍需庫に保管されていた40-50年代・ソ連製「T-48」戦車、国産ライセンス生産「T-50」戦車、装甲車、合わせて1800両余りが、分解され密売されていた。96年以来、地上戦力の装備は毎年のように更新され、廃棄処分となった戦車、装甲車、軍用トラックは1200両を数え、そのうちの約50%は、四川省南充の軍需庫に保管されていた。毎年のように装備品が処分され、それにより関係者の私腹が肥やされていた。分解された戦車、装甲車のモーター部分は、一台につき一万元で密売され、分解された鉄鋼板は製鉄会社に転売されていた。2005年に後送処分となった「T-55」戦車700両は、すべて「消失」していた。その一部は、南アジア、東南アジアにすでに売却されたものとみられる。

③小銃30万丁が横領され密売

湖南省麻陽の軍需庫に保管されていた旧ソ連製突撃自動小銃、40式・米国製カービン銃、50-60式・旧ソ連製「T-56」半自動小銃、「T-54」回転式リボルバー拳銃、近年後送処分となった「63式」拳銃など27万3000丁余りが、すべて「消失」していた。一部は、すでに銃器密売集団が、国外に持ち出したものとみられ、地方政府がこれに結託、民兵の装備品予算を使って転売に手を貸していた。「処理された」銃器の価格は、同類新型銃器の二倍から三倍で取引されていた。調査チームは、「典型的なヤクザ商売、国家資源の食い潰し」と評した。

④戦略燃料が横領され密売

雲南省東川の軍需庫は、特大の軍需庫だ。敷地は、20万平方メートルもあり、毎年5億元以上の物資が倉庫内に追加保管される。保管される物資は、西南地区の軍需品、特大災害における救援用の工業品、軽工業品、燃料などだ。検査で発覚した際には、11年分の備蓄物資が、すでに省軍区後勤部門によって掌握され市場に転売されていた。利益は、数個セクションに分配された。2006年5月に燃料価格が高騰した際には、戦略燃料である軽油17000バーレルが、三回に分けて転売されていた。倉庫の記録では、「地方予備役の演習」、「災害救援活動」などとなっていた。

⑤大量の野戦ベッド、軍靴、テント、薬品などが密売

広西族自治区蒙山××号軍需庫は、地下三層構造となっており、60年代には、中央軍事委員会の指揮所のひとつであった。70年代後期、90年代中期に拡張工事が行われ、総後勤部、広西軍区後勤部が管轄するようになった。ここに保管されているのは、中越紛争で獲得した小銃・火砲、80年代に広州軍区、成都軍区で後送処分となった装備品だ。今回の検査で明らかになったのは、装備品がことごとく運び出され密売され、この膨大な軍需庫が、「もぬけの殻」になっていたことだ。保管されていた軍需品は、野戦ベッド20万床余り、軍靴・テント20万セット、薬品などであった。広西族自治区軍区後勤部の余部長は、軍事法廷で尋問されている。

解放軍の軍需庫は、四階級に分類されている。特級には、核兵器、レーザーなどハイテク先端兵器が保管され、中央軍事委員会の直属部隊が管理する。一級には、戦備戦略武器が保管され、中央軍事委員会と各軍種総部が管轄する。二級には、即日に後援される装備が保管され、各軍区の一線級部隊が管轄する。三級には、救援支援物資と後送処分となった装備が備蓄保管される。

2000年以降、毎年250億元から500億元の軍需装備・物資が、後送処分となり、淘汰、廃棄処分された。言い換えると、軍と地方政府が結託して、これだけの額が、役得の戦利品「ポケットマネー」と化していた。中央軍事委員会、総参謀部、総後勤部、総装備部はこのほど、連絡命令を下達し、2007年1月から6月末まで、軍需庫の物資保管状況と警備状況を視察するとしているが、これこそが「後の祭り」ではなかろうか。