拓殖大学客員教授・前国立市教育長の石井昌浩氏は19日、世田谷区内の下馬地区会館にて「国旗・国歌問題について考える」という演題で講演を行い、先の「9.21判決」における問題点、ひいては現在の日本の教育現場が抱えている諸問題について意見を提起した。
9月21日、東京地裁民事第36部、難波孝一裁判長(57)は、都立学校の教職員らが原告となる国歌斉唱の義務が存在しないことを確認、損害賠償を求める訴訟をほぼ全面的に認める判決を言い渡した。
石井前教育長は、裁判官も戦後民主主意の洗礼を受けて、「マイノリティー信仰」に染まっていると批判、難波裁判長は戦後団塊世代の代表格として、大学生活は「全共闘」の全盛期で、ある意味時代の基本的な流れを汲んでいると指摘した。
また、戦後教育60年の基調として、「国家悪玉」「個人善玉」の二項対立の図式の中で進んできたと指摘、教職員らは教育基本法第10条「不当な支配」を曲解していると揶揄した。教育現場はこの問題に場数を踏んでいるため、判決で早急な動揺はないものの、担任教師が持ち場を守る事が前提だとの認識を示した。
当判決は、難波裁判長が、憲法第19条「思想・良心の自由」を絶対視したために生じたもので、「いわば天才バカボンのギャグに似て」「国旗・国家には賛成だけど、反対なのだ」という式の「西から昇ったお日様が東に沈む」という同様な論調と相俟ってナンセンスだと痛烈批判した。
教育現場で訴訟が多発している理由について、これが教育基本法の成立過程(昭和22年4月発布)に原因があり、これは日本人自らが制定したものとは違い、当時のGHQが特に第10条に介入、「思想・良心の自由」がそれ以降、教職員らによる法廷闘争の戦術となってしまったと悔恨を口にした。
職員会議の法的性質についても、これが校長の「補助機関」なのか「最高議決機関」なのか、長い間の論争が続いていたが、平成12年の学校教育法施行規則の改正(第23条の3)により、校長の補助機関として決着した事例を挙げ、教育基本法についても改正が待たれるとの認識を示した。
戦後の反動左派は、自分の思想に合わないものを「内心の自由」を盾に学校教育を私物化してきたが、現在「教育基本法改正案」が衆議院を通過して参議院で審議に入ったことは「大きな前進」として、沖縄知事選などで「二の足を踏まなかった」安部政権を評価した。
戦後教育の原点は、マッカーサーの教育使節団27人が持ち込んだ「子供中心主義」であり、これはアメリカン・プラグマティズムの元祖ジョン・デューイ博士が提唱したものであったが、「国家を罪悪」と決め付け「子供の目線」に教師が降りた瞬間に「教育放棄」となり、これに戦後日本のマルキシズム思想が合体して、「自己中心主義」の戦後教育60年が続けられたことが問題だと指摘した。
戦後教育においては教師の権威が剥奪失墜し、教師が生徒に殴られ「サンドバック状態」になっている報道が連日のようにされているが、国家の基本戦略は「外交」「防衛」「教育」であり、国家政策としての教育制度の充実がなければ、教育現場の再興は有り得えず、これを正さなければ日本の将来はないとの認識を示した。