【大紀元日本8月12日】中国でこのほど、「江沢民文選」が出版された。中国国内および国際問題にかかわる文章が多く掲載されており、その中に、1999年に中共上層部が法輪功に対する弾圧の最終決定に至る経緯に言及している。これは、中共が党・政・軍の当時のトップ江沢民氏が法輪功に対する見解を初めて公にしたものである。香港人権民主情報センターは、当時、江氏に次ぐ大物・朱熔基総理は、江氏の意見と相違していたことを明らかにした。VOAが伝えた。
今回発行された「江沢民文選」は3巻からなる。第2巻で、1999年4月25日に、法輪功の学習者が中南海の外で請願を行っていることに言及している。その日、江氏は中共上層部幹部らに宛てた書簡で、「法輪功は秘密裏に突然、1万人以上の者が集まり、1日で党および国家権力の中心である中南海をとり囲んだ。その組織規律の厳格さ、情報伝達の迅速さはまれに見るものである…1989年の政治騒動以来、北京地区で発生した集団事件の中でもっとも人数の多い事件だ」と江氏が法輪功に対する見方をはっきりと示した。
これに対して、4・25事件後、法輪功側は多くの文章および報道で、当時、法輪功の学習者が天津で不当に拘束された法輪功修煉者の解放を求めて、1万人が北京の中南海にある国務院「信訪弁(陳情申立受付事務所)に向かい、請願を行った。朱熔基総理は、数人の法輪功代表者と面会し、問題に善処することを約束したと発表した。中国という国において、国民の平和的な請願よって問題が解決されたことは、歴史上極めて稀で、国際社会からも高い評価を得た。
香港人権民主情報センターの8月10日のニュースリリースによると、同センターは、中共中央弁公庁が99年4月27日に発行した「中弁発14号」と記された中共上層部の秘密書類を入手し、当時、朱総理は法輪功の弾圧に反対したことを明らかにした。すなわち、上述「江沢民文選」の第2巻に掲載されている書簡である。
香港人権民主情報センターはさらに、非常に信頼性の高い情報筋から、朱総理は2度も政治局常任委員会で、法輪功問題を慎重に対処しなければ、矛盾を激化すると江氏と弁論したという。しかし、江氏は天安門(六四)事件が10周年を迎える非常に敏感な時期にあたることから、強硬手段で法輪功を取り締まらなければ、「党も国も滅亡する」と頑なに主張した。
一方、江沢民が法輪功を弾圧した根本的な理由について、あらゆる面での分析から、江沢民は法輪功の出現および活動を相当な脅威として見ていたことに結論付けられる。例えば、江沢民は上述書簡の中で、「法輪功は中南海を包囲した後、西側メディアが直ちに報道し、事件を誇張し扇動した。結局、法輪功は西側と関連しているのかどうか、または、背後に誰が画策し指揮しているのかについて、我々が重要視し調査すべきである。天安門(六四)事件の敏感な時期が近づいてきたことから、同じような事件の発生を防ぐために、早急に効果的な措置を行うべきだ」と述べた。
1992年からすでに相当数の党員、幹部、知識人、軍人および労働者、農民が法輪功をやり始めたことから、当局の者および一部の部門は政治、大衆に対する思想教育工作が如何に無力であったかを指摘したが、江沢民は法輪功を共産主義イデオロギーと共産党当局の統治に脅威的な存在と見なし、周囲の反対を押さえ最終的に法輪功の弾圧を決めた。
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