討論:暴力化の傾向にある中国

2006/07/26
更新: 2006/07/26

【大紀元日本7月26日】中国においては、強者グループ、闇勢力、弱者グループを問わず、ますます多くの者が、暴力手段を用いて自己の利益を保護し、または自己の目的を果たそうとしている。例えば、政府の「計画生育政策(一人っ子政策)」の強硬執行に抗議したため逮捕された山東省の盲目人権活動家・陳光誠の代理人として支援しようとした弁護士数名が、身元不詳者数人に数多くの暴行を受け、事案の処理ができなくなった。また、今年1月、甘粛省の農民が県政府の前で爆薬を爆発させ、現場で5人が死亡した。4月には、四川省において類似の事件が発生し、障害をもった老人が裁判所で爆薬を爆発させ、本人は死亡し、裁判官1人が重傷を負った。

なぜ、こうした暴力化の傾向が現れたのか。ラジオ自由アジア(RFA)の申華・記者は、深センのフリーランサー朱建国、西安の人権活動家張鑑康を招き、中国の暴力化の現実について討論した。

記者:先ほど張鑑康さんとお話をしていたとき、張さんは、実際、西安においても、弱者グループが、暴力を通じて自己の意思を表明し、自己の利益の保護を図ろうとしていると仰いましたが、この点を詳しくご説明いただけないでしょうか。

張鑑康:事件が発生したのは、大体昨年頃です。西安の碑林裁判所において、普通の離婚事案を取り扱っていたところ、当事者の男性が、判決が不公正であると考え、爆薬を取り出し、これを爆発させ、現場で多くの裁判官、法務警察を爆死させました。

記者:朱建国さん、こうした暴力事件は、何を意味しているとお考えですか?

朱建国:現在、中国の最下層には、絶望的な感情が遍く存在していると考えます。弱者グループにあっても、個人に自信があれば、こうした事件は、民主、法治によって解決することができるのであり、極端な暴力行動はとらないのが一般的です。弱者のグループ及び個人が絶望を感じたとき、さらに法治及び民主のプロセスに対して何の希望も持てないとき、彼らは理智を失い、極端な行為に出るのです。

これまでの長年にわたり、中国は、4人組の打倒、改革など、無数の希望の時を過ごしてきました。しかし、最後に得たのは失望でした。この失望が累積し、絶望の感情が発生しました。いま最も恐ろしいのは、最下層の非常に多くの者が、ある種の絶望の感情を持っていることです。国際的なテロリズムの考え方も、絶望の感情がもたらしたものであると私は考えます。

記者:張鑑康さんは同意しますか?ある種の絶望とは、体制全体に対する絶望によってもたらされたものなのでしょうか?

張鑑康:私は朱さんの考え方に同意します。これは、既に、集団的、無意識的なものとなっています。中華民族それ自体は武を尊ばない民族ですが、共産党による暴力化を活発にする教育を通じ、多くの者が、暴力のもたらす直接的な効果を認めています。

記者:私たちは先ほど、いくつかの事例について述べましたが、これらは全て法廷と関係があるものでした。数日前、私は江蘇省の農民を取材しました。彼らは、土地収用を巡り、政府との間でトラブルが発生しました。彼らはもともと、司法のルートでこの問題を解決しようとしましたが、再三裁判で敗訴しました。しかし、彼らは自分たちに理があると考えていました。警察、民衆との衝突、官員と民衆の衝突は、全て、司法のルート、陳情制度が機能していないために、暴力的行動をとって自己の意思を表明せざるを得ないことによるものです。民衆がこうした絶望感、なすすべが無い感覚を持つ原因は何であるとお考えですか?

朱建国:現在の主な問題は、政府が多くの面で不作為であるために、民衆の理性的、平和的な問題解決のルートが閉ざされているということです。私自身の経験では、雑誌「蘇活」による虚偽広告事件に遭遇しました。

記者:雑誌「蘇活」の事件ですか?

朱建国:はい。彼らは、虚偽の広告を発表しました。巴金は既に2005年に死亡していますが、2005年11月、第六期社会雑誌において、巴金が2006年蘇活の編集をするとの広告が発表されました。これは、明らかに虚偽の広告であり、事実からも明らかです。蘇活は、2006年第一期号において、この広告を修正しており、虚偽の広告を行ったことを説明しています。しかし、蘇活は誤りを認めませんでした。このため、私は法廷に提訴しました。しかし、政府の関係部門が事件外の要素による影響を与え、裁判官は、私に敗訴の判決を下しました。裁判官は、蘇活は虚偽の広告を行ったが、彼らには理があると述べました。

このケースにおいて、私たちが理性を失っていたならば、法廷上において、裁判官と衝突が起きていたでしょう。多くのケースにおいて、政府は故意に法律をねじ曲げ、不作為を行い、民衆に、非理性的な暴力行為に訴えることを強いるのです。大騒ぎにはならない群衆事件について、上層部は関心を払いません。理性をもって陳情し、手紙を書いても、全てなしのつぶてとなります。したがって、何か騒ぎを起こさなければ、上層部は関心を持たないのです。

記者:これは、弱者グループが暴力手段で権利保護を図っているのです。では、強者グループから見ますと、警察、公安部門の官員のような人たちが、暴力手段をますます多く使用し、民衆に対処していますが、この原因は何でしょうか?

張鑑康: こうしたやり方が成功するとは限りませんが、彼らは、実際のところ、政治及び法律の枠組みの中で、社会秩序をコントロールすることができないと考えているのです。だから、陳光誠事件が発生したのです。彼らの言い分が通用しないがために、彼らはどうしようもなくなり、闇社会の力を買収し、陳光誠の代理弁護士を襲わせたのです。このように、何らかの自体が発生すると、彼らは、自分たちは何もしていない、もし自分らがやったというのなら、証拠を持ってこい、というのです。その証拠を探すのは困難です。こうしたやり方は、あからさまなまでに、ならず者的なやり方です。

記者:現在、中共政府は和諧社会の構築を強調していますが、こうした中で暴力が盛んに行われるとなれば、どうして和諧社会を口にできるのでしょうか?

張鑑康:これは、マルクスが述べたとおりです。統治者は、以前の古い手法で統治を続けることはできません。被統治者もまた、そうした過去の手法に従って生活を続けることはできません。こうした状況が発生しているということは、社会が急激に転換する前兆である可能性があります。

記者:朱建国さんは、こうした暴力化が、どのような結果をもたらすとお考えですか?張さんの述べたような急激な社会変化の前兆とお考えですか?

朱建国:双方が絶望に向かっています。勝者が存在せず、全てが失敗者であり、こうした社会は、最終的には崩壊する可能性があります。

記者:当然、私たちは、中国社会全体が崩壊することを希望していません。張鑑康さん、希望はありますか?

朱建国:ここにも未来は隠されています。民主への転換のような巨大なチャンスです。民間の力と上層部の開明派の力が妥協し、強硬をもって強硬に臨む手法を改めて問題を解決すれば、転機が訪れるでしょう。

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