【大紀元日本6月2日】六四天安門事件17周年を当たり、香港太平洋世紀出版社が6月3日、故中国元総理趙紫陽を記念する新書「紫陽千古-趙紫陽記念文集」を出版する予定。本書は80通あまりの文章、数百通の詩などを収録、特に、趙紫陽が1997年10月13日中共中央政治局宛の手紙を初めて発表。手紙の中、趙紫陽が中共政治局に、六四事件の名誉回復と自分に対する軟禁を取り下げるよう嘆願した。
1989年5月、中国の大学生が官僚腐敗の処罰や、政治改革の促進などを求めるため、北京を中心に全国で民主運動を起した。6月4日、この民主運動が中共政権に武装弾圧され、数万人とも言われる大学生や市民が装甲車に踏み潰され、銃で乱射され、殺害された。これは世界を震撼させる「天安門大虐殺」である。弾圧直前に、当時在位していた趙紫陽・元総理は、大学生に対し、「民主と法制の軌道に沿って、問題を解決する」と明言し、_deng_小平(故・当時の総書記)は大学生への武装弾圧を命令したことを強く反対した。そのため、趙紫陽氏がその後すべての地位と身分が剥奪され、2005年1月17日に逝去するまでに、約16年間中共に軟禁されていた。
この書簡の全文は以下のとおり。
皆さんへ:
私は9月12日、党の「十五大」に書簡を届け、「六・四事件」(編集者注:1989年の「天安門民主運動」)を新たに評価するよう提案した。あなた方も恐らくこの書簡を読んだ。手紙を投函した後、私には訪問客を接待することや、外出することなどが禁止され、自由が完全に制限され、半軟禁状態から軟禁状態になった。このよう厳重な違法行為について、私は書簡で「中央弁公庁」に問題の解決を求めたが、今日まで、私への軟禁が依然継続している。そのため私は直接あなたたちに問題提起するしかない。
私は1人の共産党員として、ある問題について、党の代表大会に意見を提出するのは、党員の権利を正当行使しているだけで、このことが党の法則にも明確に定められている。私の提案が正しいであろう、間違いであろう、党の代表大会での審議を許可するであろう、許可しないであろう、私は党の法則を違反していないし、国家の法律をも違反しない。しかしこの私に対し、軟禁を実行するのは、公民としての人身自由を剥奪することにあたり、国家の法律を違反した人として扱っている。私はいったいどの法律を違反し、どの司法部門がどのような法律審理を経て、軟禁の実施を決めたのか、それを知りたい。このように不明白に随意で1人の人間を軟禁し、1人の公民の権利を剥奪するのは、社会主義法律制度への乱暴な踏み躙りではないか。
(中略)
1989年6月以来、私は違法軟禁、半軟禁、軟禁されるのがすでに8年が経った。これから先、このような自由が剥奪され日々はどれだけ続くのかも知らない。私のような80歳近くになる老人にとって、心身健康が大きな打撃を受けているのは言うまでもない。わが党と党中央部のイメージも著しく損害されている。人々も私の身で発生しているこれらの事情を、党の「十五大」で宣言した「法律を基づいて治国する」との原則と照らし合わせ、その上でこれらの重大原則の信憑性を自己判断するはず。我が子孫が将来いまの時期における党の歴史を評価するときに、異なる意見を抱く党員が長期に軟禁され、公民権利が剥奪されることを輝かしい一ページと認識しないはず。
私のこの手紙を通して、総書記や、常任委員会の同志たちの重視と関心を引き起こすことを期待している。中央内部で発生しているこのような恣意的な法律違反が一刻も早く制止されることを願っている。私への軟禁が早急に解除され、人身自由の回復を望んでいる。このような孤独で寂しい、鬱憤が蓄積する状況の中で、余生を過ごさせないでください。
趙紫陽より
1997年10月13日
附:趙紫陽・元総理による、「党の十五大」主席団および党代表者全員宛の手紙
「十五大」主席団および党代表者全員へ:
今回開催する「十五大」は我が党にとって20世紀最後の代表大会である。後2年もすれば、21世紀に突入する。このような肝心な時期に、私は心から大会の成功を祈っている。
私は大会に「六・四事件」を新たに評価することを提案したい、審議することを願っている。
世界を震撼させた「六・四事件」が発生してからすでに8年が経過した。現在振り返ってみると、二つの問題について、事実に基づいて真実を求める態度で回答すべきだ。
一、この学生運動は例え過激で、間違っていた、叱責される点があったとしても、「反革命暴動」と定論するのは、根拠が欠けている。「反革命暴動」でないため、武装弾圧の手段で解決してはならない。当時の武装弾圧で 事態を迅速に収拾できたが、国民であろう、軍隊であろう、党および政府であろう、我が国家であろう、当時の決断と行動に多大な代価を払った。その消極的な影響はいまだに党と民衆の関係や、台湾との両岸関係およびわが国の対外関係に存在する。この事件の影響で、「十三大」から遂行し始めた政治改革が途中で挫折してしまい、政治体制改革が著しく遅れ、その結果、わが国の経済分野での改革開放が多大な成果を実ったと同時に、様々な社会問題が迅速に発生、蔓延し、社会の対立が日々深まり、党内外の官僚腐敗が処罰しても制止できなく、ますますエスカレートになるとの深刻な情況に陥っている。
二、当時の学生運動に対し、流血を避け、もっと良い方法で事態を沈静化させることができるのではないか。当初、私は「民主と法制の軌道に沿って、問題を解決する」と提案したのは、このような結果を求めたかったからだ。私は現在でも、このような方式で流血を避け、すくなくとも厳重な流血衝突を避け、事態を収拾できたと認識している。皆さんが承知のように、当時の学生の多数は、官僚腐敗を処罰し、政治改革の促進を求めていた、共産党を崩壊させ、共和国を転覆することをまったく望んでいなかった。もし我々は学生の行動を反党や、反社会主義と受け止めるのではなく、彼らの合理的な要求を応じ、対話や協議、意識疎通などの手法を使ったら、事態の収拾はできたはず。そうすると、流血衝突がもたらした様々なマイナス影響を避け、執政党、政府と国民の間に、新しい形の意識疎通と対話のモードが確立でき、政治体制の改革が促進され、わが国が経済改革において盛んな成果を得るだけではなく、政治体制改革においても、まったく別の局面を迎えられたはず。
「六・四事件」への再評価問題について、いずれは解決しなくてはならない。時間の推移につれ、人々がこの事件を忘れることはない。早い段階での解決や、主動的な解決、情勢が安定する中での解決はより賢明である。現在全国の情勢はまだある程度安定している。間違いを反省し、動乱を敬遠するのは多数の国民の共同認識である。当初人々の興奮の情绪も徐徐に平静を取り戻している。このような状況の中で、我が党はもし主動的に「六・四事件」への再評価を提起し、ことを進んでいけば、各方面からの激しい情绪の騒乱を排除できるはず。この歴史の難題を解決する過程において、理性や、寛容、和解な態度で、細かすぎず、個人の責任の追及にこだわらず、経験と教訓の総括を重視し、そのような正しい軌道に沿って行動すれば、この歴史の難題を解決できると同時に、国内情勢の安定化も実現でき、わが国の改革開放に更なる良い国際環境を開拓できる。我が党が時機と情勢を推し量って、早急に決断を出すよう願う。
以上の提案を大会審議に提出する。
趙紫陽
1997年9月12日