中共、「花革命」に怯え、民間シンクタンク機関を封鎖へ

2005/09/10
更新: 2005/09/10

【大紀元日本9月10日】シンガポール日報の報道によると、近年北京、上海などの大都市において民間シンクタンクが相次ぎ設立され、公共政策活動の中で頭角を現した。しかし、今年から中国政府は、東ヨーロッパ及び中央アジア地区の国で発生した「花革命」(注1)を強く警戒し、中国国内で同様事件の発生を懸念し、ついに当局と異なる見解を持つ民間シンクタンクに対して、取締りの手を伸ばした。そのため、多くの民間シンクタンク機関は閉鎖に追いやられたという。

中央アジアで相次いで起きた「花革命」は、胡錦濤中国国家主席にかなりの衝撃を与えたようだ。5月下旬、胡主席は内部会議で、「砲煙のない戦争に挑む」という方針を発表し、中国周辺地区で欧米諸国による「花革命」の発生を阻止し、米国の中国転覆政策を粉砕することを目的としている。胡主席はさらに、中国社会科学院の責任者を接見し、アジア地区の「花革命」に関する研究を強化する方針を指示した。さらに、他国政府に牽制されないように、外国機構からの支援の下で研究を進めている研究機関のやり方を改めるよう指示した。胡主席は、特に米国のソロス財団(Soros Foundation)は、花革命に重要な作用を果たした現地の民間組織に政治資金を提供したことに深い関心を示した。

北京大学卒、現在シンガポール東アジア研究所の研究員・頼洪毅博士は、民間組織が「花革命」で大変な役割を果たしたことによって、中国政府が民間のシンクタンク機関を警戒するようになったと分析した。「花革命」の他、中国内部で相次いで起きた農民の抗議事件において、一部の民間シンクタンクのリーダー格も関わっており、中国政府は事件の拡大を防ぐために、農民らの代弁者にならないように、民間シンクタンクの発展を規制し始めたと、頼氏はこのように話した。

民間のシンクタンクは1992年に_deng_小平氏が中国南部巡視後、市場経済が内陸で確立された後に現れた。しかし、2001~2003年の間、大きな発展を遂げ、この3年間で設立された民間のシンクタンク機関の研究は経済、社会、法律及び立憲政治など幅広く及んだ。

研究会の積極的な開催、関心の高いテーマを議論する

これらの民間シンクタンクは成立されて以来、市場経済や公共政策から立憲政治の改革までの話題について、北京及び上海で研究会を活発に開催した。近年は、中国国内及び海外で注目されていた農民企業家・孫大午事件と「南方都市報」事件に関しても、民間シンクタンク機関が学者らを集め、法律の角度から政府に鋭く質疑し、孫大午氏及び「南方都市報」総編集長・程益中氏の救助に重要な役割を果たしたという。

政府、登記の更新を拒否

しかし、民間シンクタンクの活躍は線香花火のように消えてしまった。

今年初め、「上海法律及び経済研究所」の登記更新は拒否された。登記機関の責任者によれば、民間の研究所は禁止だという。

中国経済、政治制度の変遷に関する研究を行っている「天則経済研究所(以下、天則)」は、昨年より圧力を感じたと話した。当研究所が主催した研究会はしばしば取り消されたり、場所の変更を迫られたりした。さらに今年に入って、登記の更新が拒否されたため、引越せざるを得なかったという。

「思源社会科学研究センター」の創立者、学者の曹思源氏は、当センターは2003年6月に青島市で大型民間立憲修正論壇の討論会を開催した以後、本人及びセンターで行われた日常の活動が監視されはじめ、活動ができなくなり有名無実で1年あまりが過ぎ、今年の3月にとうとう閉鎖してしまったと話した。

そのほか、自由主義学者・劉軍寧氏、馮興元氏が創立した「九鼎公共事務研究所」では、インターネット及び読書会を除く全ての活動はなくなったという。

外国の基金援助に対して、中国政府は疑う視線

シンクタンク「世界と中国研究所」所長・李凡氏は、中国の民間シンクタンク機関は政府側及び国内企業の支援が少ないため、海外の基金会の支援を受けざるを得ないと話した。しかし、それは中国政府の民間シンクタンク機関に対する猜疑を増し、政府側と民間シンクタンク間の関係を悪化させたという。

事実、シンクタンク「天則」は数年前まで資金の大半は外国の基金会、例えば、フォード基金会による支援であった。今年の4月、「天則」が経済、社会、文化権利の角度から、中国の公共管理について研究を行った際、同基金会はそれに対して支援したという。また、「世界と中国研究所」が進めた下部選挙の研究も同基金会の支援を受けていた。李氏は、同基金会の援助資金がなければ、研究所は数年前に既に閉鎖していただろうと話した。

(注1)「花革命」-カラー革命ともいう。英語でcolor revolutions, またはflower revolutions。1980年代以来、中央及び東ヨーロッパのポスト共産主義社会を中心に、最近、中央アジアの一部分に広がり起こった政権交代の関連運動の総称。運動の形態は一般的に非暴力であり、民主、自由と民族の独立を主張。