【大紀元二月一日】趙紫陽氏の葬儀は、数日間にわたる“話し合い”の末、やっと行われることになった。この“話し合い”は、もちろん平等な条件の下で行われたものではない。なぜなら一方が批判され十五年間も軟禁されてきた前国家総書記の家族であり、片方はあらゆる国家資源をコントロールする党中心の国家だからだ。葬儀の情況から見れば、やはり趙紫陽氏の家族が再び共産党に翻弄されることになった。
一、一部では、賈慶林氏が葬式に出席することで格上げされたと見られているが、実際はその反対であり、趙紫陽氏への侮辱であり、評価を下げることになる。まず、賈慶林氏は密貿易の犯罪者である頼昌星の傘下であり、彼が趙紫陽氏を追悼することは、同類のものとみなされ、あたかも趙紫陽氏も貿易の自由化を私物化したかのように見られてしまう。次に、賈慶林氏は全国政協の主席であるため、趙紫陽氏は党の総書記から、中国共産党の政策と対立する存在となってしまったのである。
二、趙紫陽氏の家族が最初に話した情報によると、当初の妥協策は、論議を避けるため、趙紫陽氏の功労と過失を評価せず、ただ趙氏の略歴についてだけ報道するものだった。しかし、新華社は最後に再び、趙紫陽氏が89年の“厳重な過ち”について言及し、趙紫陽氏および民衆の傷口に再び塩をかけることとなった。また趙紫陽氏がかつて総理および総書記の職務に務めていたことについても、ただ漠然と“重要な指導者職務”と表現していた。そして、趙紫陽氏が病気を患っていた期間に“彼の生活および治療について適切な処理をした”と自画自賛した。あまりのあつかましさ、羞恥心の無さに絶句してしまうほどだ。
趙紫陽氏の家族が直面しているのは、信用の置けない悪徳な政権であり、このように騙されるのは避けられないものだ。しかし、趙紫陽氏本人が死去した後に、再び陵辱されるのは、実に悲しいことだ。されど、肝心な点は、趙紫陽氏が臨終する前に中国共産党から離脱する宣言、あるいは中国共産党とは徹底的な決別を表明していないため、香港・マカオ事務所常務副主任である陳佐ジ氏によれば、趙紫陽氏の死は“共産党の問題”であるため、中国共産党は彼を任意に侮辱する権利を持つことになったと言う。
別の角度から陳佐ジ氏の話を見れば、もし趙紫陽氏が共産党員でなかったならば、彼の死は共産党の問題でなくなり、葬式を処理する際のゆとりも出てくるわけだ。趙紫陽氏の娘である王雁南氏は悲憤慷慨しながらも、死によって趙紫陽氏はついに自由を獲得したと言ったが、陳副主任の話では、実際中国共産党と徹底的に決別しない限り、本当の自由は得られないことになる。もし離党を宣言していれば、中国共産党はもう“召使の旦那”の身分として死者をほしいままに扱うことができなくなる以外に、清廉潔白の評判を回復することができたかもしれないと見られている。
大紀元新聞ネットは去年11月に『九評』(共産党につていの九つの論評)を発表してから、全世界で“中国共産党に決別”の活動までに発展し、趙紫陽氏を追悼する活動や、中国共産党に決別する儀式とも連合された。最初は、その深い意味を理解できなかったが、今回の中国共産党のコントロールから全面的に“決別する”儀式を経てから、やっとこの“共産党に決別する”意味の重要性を理解できるようになってきた。中国共産党が決別の儀式にびくびくし、緊張し。不安に慄いていることからみると、中国共産党にまた二心を抱いている党員同士に忠告申し上げたい:あなたたちが“決別”される前に、自ら先に“共産党に決別”ことで、親愛の母なる党が葬式のことで心配せずに済むことができるようになるのだ。
作者はニューヨークに在住する政治評論家である。
『林檎日報』より
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