東京の地下鉄駅。
改札口の横に、一人の駅員が立っている。
数分おきに、彼はホームの方を向き、
深く一礼する。
見ている乗客は誰もいない。
ホームは空っぽだ。
彼はただ、走り去る列車に向かって、頭を下げている。
私は日本人の友人に、なぜなのかと尋ねた。
彼女は少し考え、こう言った。
「乗客があの列車に乗っているからだよ」
乗客からは、もう彼の姿は見えない。
それでも彼は、お辞儀をする。

これこそが肝心な点だ。
――誰も見ていないとき、自分はどのような人間であるか。
中国の古人は、これを「慎独(しんどく)」と呼んだ。
一人でいるときも、変わらず身を正す。
他人に見せるためではなく、己の良心に見せるために行うのだ。
礼とは、パフォーマンスではない。
礼とは、個人の内なる秩序が、外側に現れた形なのだ。
あの駅員は、
誰もいないホームに一人立ち、頭を下げている。
それをもう、何年続けているのだろうか。
彼はきっと、「慎独」という言葉など聞いたこともないだろう。
しかし彼は、その言葉そのものを生きている。


見覚えのある涙 日本の中の「仁義礼智信」
食卓の一秒に生きる「仁」 「いただきます」という最も深い礼
お辞儀の重み「誰も見ていないときの自分」
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