廃墟の中にあった良心 2011年に日本が世界に示した答え【日本の中の「仁義礼智信」9】

2011年3月11日、午後2時46分。

日本の東北地方沖で、マグニチュード9.0の巨大地震が発生した。

日本の観測史上、最大規模の地震だった。

その数分後、津波が押し寄せた。

巨大な波が、町をのみ込んだ。

家も、道路も、学校も、わずかな時間のうちに姿を消していった。

死者は1万5千人を超え、行方不明者は3千人近くにのぼった。

そして、40万人を超える人々が避難を余儀なくされた。

そのとき、世界は見つめていた。

これほどの災害に襲われたとき、
人間は、いったいどちらへ向かうのだろうか。

歴史を振り返れば、大災害のあとには、
略奪や暴動、混乱が起こることがある。

極限の恐怖にさらされたとき、
人間は普段とはまったく違う姿を見せることがある。

世界は、日本を見つめていた。

しかし日本が示したのは、
多くの人々の予想とは異なる光景だった。

地震災害イメージ画像(Shutterstock)

被災地のスーパーでは、商品棚が空になった。

だが、略奪されたからではない。

人々が列に並び、
順番に必要なものを買っていったからだった。

氷点下の寒さの中、
長い列ができていた。

それでも、人々は静かに待っていた。

割り込む人はいない。
奪い合う人もいない。
混乱に乗じて盗みを働く人もいない。

コンビニでは購入制限が設けられ、
一人が受け取れる物資の量が決められた。

人々はうなずき、
「ありがとう」と言って、その場を離れていった。

そして廃墟の中では、
世界をさらに驚かせる出来事が起きていた。

ある人が、倒壊した建物のそばで金庫を見つけた。

中には現金が入っていた。

その人は、
金庫を警察へ届けた。

そうした人は、一人だけではなかった。

多くの人々が、瓦礫の中から現金や貴重品を見つけると、
一つひとつ警察へ届けていった。

震災後、日本の警察には、
被災地で発見された多額の現金が届けられた。

そのお金は、
廃墟の中から見つかったものだった。

すべてを失った人々が暮らしていた、
その場所から見つかったものだった。

海外の記者たちは被災地に立ち、
目の前の光景をどう伝えればよいのか、言葉を探した。

彼らが知る世界では、
大災害のあとには混乱が起こり、
人間の最も暗い一面が現れることがある。

しかし、彼らが目の前で見たものは、
それとは違う人間の姿だった。

「義」とは、最も困難なときであっても、正しいと思うことを行うこと。(Shutterstock)

海外のメディアは、
最悪ともいえる状況の中で、日本人が冷静さや秩序、他者への思いやりを失わなかったことを驚きをもって伝えた。

なぜなのだろうか。

日本人が恐怖を感じなかったからではない。

彼らもまた、恐れていた。

日本人が苦しんでいなかったからでもない。

家を失い、
大切な人を失った人もいた。

それでも、極限の状況に置かれたとき、
人は自らの最も深いところにあるものへと立ち返る。

そこに、一つの「義」という精神を見ることができる。

「義」とは、最も困難なときであっても、
正しいと思うことを行うこと。

誰かが見ているからではない。

褒美がもらえるからでもない。

混乱の中でも秩序を守ることは、
同じ苦しみの中にいる人々への思いやりでもあるからだ。

儒家では、「義」についてこう説く。

「義者、宜也。」

――義とは、宜(よろ)しきこと。
すなわち、人としてなすべきことを行うという意味である。

簡単だからするのではない。

そうすることが、
正しいからする。

二千年以上前、
古典の中に記されたこの精神は、

2011年3月、
廃墟の中にその姿を現した。

静かに列に並び、
自分の順番を待つ人々の中に。

見つけた金庫を、
そのまま警察へ届けた人の手の中に。

災害は、いつか過ぎ去る。

廃墟となった町も、
いつか再建されていく。

しかし――

あの日、静かに列に並んでいた人々の姿。

警察へ届けられた金庫。

凍えるような寒さの中で、
互いを気遣いながら順番を待っていた人々。

その光景は、今も残っている。

単なるニュースとしてではない。

一つの問いとして、
それを見た人々の心の中に残っている。

「もし、自分だったら――
同じようにできただろうか。」

この問いは、どんな説教よりも、人の心に強く響く。

日本の中の「仁義礼智信」
林道悟
日本の日常に宿る美と、東洋の生活の知恵を発信するコラムニスト。