唐代の博識な文学者、段成式(約803年〜863年)による物語集『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』は、千年にわたって語り継がれてきた想像を超える奇談が、今も多くの人々に親しまれています。その中でも、天の謎に迫る『巻一・天咫(てんし)』には中秋節の月にまつわる伝説がいくつか記されており、有名な「呉剛が桂を伐つ」もその一つです。
そしてもう一つ、非常に神秘的な出会いを描いた話があります。それは、月の「真相」に少しずつ気づき始めている現代人にとって、思わず息をのむような内容です。月は、はたして神人が造ったのでしょうか? 中秋に添えるにふさわしい、奇想天外な逸話をご紹介します。
中秋節・月の伝説:「月を修復する人」との不思議な出会い
話は、唐の文宗の治世である太和年間(827〜835年)のことです。鄭仁本という人物の従弟(名前は記録されていないため、以下「鄭の従弟」と呼びます)は、山水を巡るのが好きで、いつも王という姓の秀才とともに嵩山(すうざん:中国の河南省にある名山)を旅していました。
ある日、彼らは山道を辿りながら景勝地を訪れ、藤をよじ登り、渓流を越えていきました。進むにつれて景色は次第に静けさを増し、気づけばあたりも次第に暗くなってきました。
このとき、鄭の従弟は少し慌てて言いました。
「王兄、道に迷ったようです。どんどん下っているようですが、どうしましょう?」
王秀才はあたりを見回し、立ち止まって様子をうかがっていると、ふと何か物音に気づいた様子でこう言いました。
「焦らないで、聞いてください……あちらから何か音がします!」
二人は音のする方向へ進み、草むらや茨をかき分けると、清潔な布の服を着た男性が、布製の包みを枕にして熟睡しており、「グーグー」といびきをかいていました。二人は顔を見合わせ、驚いて言いました。「こんな人里離れた山奥で、なぜこの人は寝ているのでしょう?」
気が焦った鄭の従弟は、道を尋ねようと彼を呼びました。
「あの、私たちは道に迷い込んでしまい、官道への戻り方がわからないのです。教えていただけませんか?」
呼びかけていると、その人は少し頭を持ち上げ、目をうっすら開いて二人を一瞥しましたが、何も言わず、またぐっすり眠ってしまいました。
鄭の従弟は焦って何度も呼び続けました。すると、その人は起き上がり、迷惑そうな様子も見せずに淡々と言いました。
「こちらへ来なさい」
二人が彼のそばへ行き、尋ねました。
「お尋ねしますが、なぜこんな場所でお一人でお休みになっているのですか?あなたは、いったいどなたなのでしょう?」
すると彼はふと笑い、神秘的な口調で永遠の秘密を語り始めました。
「ご存じですか? 天にある『月』は普通の物ではなく、『七宝』で構成されているのです。月は丸い珠のようで、太陽光がその凸面に当たることで、地上の私たちは月の光や影を見ることができるのです。天上には常に八万二千戸の者がそれを修復しており、私もその一人です」
そう言いながら、彼は枕にしていた布包みを開けました。中には斧やノミなどの道具と、玉のように透き通った握り飯が二つ入っていました。
その布衣の人は、その握り飯を二人に手渡してこう言いました。
「食べなさい。これで不老不死にはなれませんが、一生病気せずに過ごせます」
そう言うと立ち上がり、小道を指差して言いました。
「この道を辿れば、官道に戻れます」
その言葉が終わるや否や、その人は姿を消しました。
王秀才は驚いて言いました。
「今の方は……もしかして仙人だったのでしょうか?」
鄭の従弟は感嘆して言いました。
「なんと!月は『神人が造った』のですね!今日の出会いは、実に不思議で素晴らしいものです!」

月は「神人」によって造られたのでしょうか?
この物語の作者である段成式は、父の恩恵を受けて唐朝で校書郎(宮中の書物を管理・校訂する官職)に任じられました。彼自身は学問に熱心で、その職務を生かして宮中の秘蔵書を読み漁り、博学を極めたため、当時の文筆家の中でも随一と称されました。
官職を離れた後は襄陽に隠棲し、悠々自適に暮らしました。彼の著作は多数ありますが、特に『酉陽雑俎』は古今に名を馳せています。この書は、彼の豊富な知識に基づいた筆記小説です。とはいえ、今回ご紹介した「月の修復者」の話の原作者は、段成式本人ではないのかもしれません。つまり、彼がこの話を記録するよりも前から、「月は人の手で造られたものだ」という伝説がすでに存在していたということです。
物語に登場する布衣の人はただ者ではなく、神通力を持ち、話し終わると忽然と姿を消しました。月を修復する人が「神人」であるならば、月そのものを造った存在は、それ以上に特別な存在なのではないでしょうか。
月には神人が修復を続けているというこの伝説は、実に千年前から存在していました。現代人が月に到達して初めて、月というものに疑問を抱き始めたというのに、それより千年以上も前に、すでにこうした伝説があったことに驚かされます。
そして、月にまつわる一連の科学的な発見もまた、人々を驚かせています。これまで当然のように「地球の衛星」と信じられてきた月が、実は巨大な「人工衛星」なのではないか、というのです。たとえば、月に見られる特異な「月震」現象は、月がまるで空洞であるかのようなことを示しています。
さらに:
1.月は「大きすぎる衛星」であり、明らかに自然物ではありません
2.月は他の潮汐固定された衛星と同様、常に同じ面を地球に向けています
3.月の軌道は人工衛星のように、ほぼ円形に近い楕円軌道です
4.月の表層の下には非常に硬い殻が存在します
5.月には自然界に存在し得ない純金属鉱があります
6.月面には非自然的な幾何構造物が存在します
月と地球の歴史は、いわゆる「滄海桑田」という言葉が示す以上に、驚くべきものなのかもしれません。あるとき、神通力を持つ神人たちが、三界に住む地球人のために、大きな「常夜灯」として月を造ったのかもしれません。そして、あえて「満ち欠け」という不完全さを残すことで、夜ごと人々の心を揺さぶり、人生の喜びや悲しみを感じさせるものにしたのでしょう。
特に中秋の夜に見る月の「陰晴円欠」は、時代を問わず、人の心を深く揺さぶるものなのです。
(翻訳編集 解問)
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