1989年4月15日、胡耀邦の訃報を受けて学生たちは追悼活動を始めた。4月中旬から後半にかけて、民主化を求める声を上げるために、全国から多くの学生と市民が北京に集まった。1989年5月18日、天安門広場にて撮影。(CATHERINE HENRIETTE/AFP/Getty Images)
写真が暴く、中国共産党軍による人民虐殺

天安門事件の真実:目撃者袁紅冰氏が写真で語る 戦車にひき殺された学生たち一万人

今年で天安門事件から35年。1989年の春、学生たちが北京の天安門広場で始めた平和的な民主化運動は、中国共産党の手によって無惨にも鎮圧された。この取材記事では、事件の証人であり、法学者の袁紅冰(えんこうひょう)氏がその時の悲劇を振り返る。彼の証言から浮かび上がるのは、戦車と鉄柵によって命を奪われた無辜の学生たちの姿。この衝撃的な真実を通じて、私たちは歴史の重要な一ページを再検証する。中国国内では一切見られない真実である。

今年で天安門事件から35年が経過し、世界中で追悼活動が盛んに行われている。事件の目撃者であり法学者の袁紅冰氏は、大紀元新聞のインタビューで、当時の悲劇的な状況を振り返った。彼が強調する教訓は、中国がこれから自由と民主主義を実現するために、国民の広範な抵抗と民衆の立ち上がりが、共産党の独裁を終わらせるためには不可欠だということである。

1979年から1986年にかけて、袁紅冰氏は北京大学法学部で学び、その後北京大学で教員として勤めた。1989年の天安門事件時、彼は「北京大学教師後援団」を立ち上げ、ハンガーストライキを行った。授業が中断され取り調べを受けた。1994年3月2日、「社会主義制度の転覆」容疑で秘密裏に逮捕され、その年末に貴州へ流刑、貴州師範大学で教鞭を執り、法学院の院長を務めた。その後、2004年にオーストラリアへ亡命したのである。

▶ 続きを読む
関連記事
1月3日、米軍はベネズエラの首都カラカスを急襲し、ニコラス・マドゥロ夫妻を生け捕りにしてニューヨークへ移送、裁 […]
米軍によるマドゥロ氏拘束は、中国の外交・経済的影響力の限界を露呈させた。巨額融資や軍備提供による北京の西半球戦略は、トランプ版モンロー主義を掲げる米国の実力行使により、崩壊の危機に瀕している
中国を代表する博物館・南京博物院で、名画流出疑惑に続き、香炉の変色や金製彫像の異変が話題に。本当に文化財は守られているのか、不信が広がっている
年末の上海。公園で露宿していたとみられる男性が死亡した。動画のコメント欄に並んだのは「朱門酒肉臭、路有凍死骨」。古い言葉が、いまの現実と重なっている
日本では、運が悪ければ上から落ちてくるのは鳥のフンくらい。だが中国ではスケールが違う。包丁にハサミ、レンガ、さらには糞便まで。上を向いて歩く理由が、そこにある。