時は3世紀、中国の強大な漢王朝は崩壊しました。この混乱期には、英雄や勇敢な人物が現れました。劉備の右腕として知られる趙雲もその一人です。
趙雲は、忠実・不屈・無敵という言葉に相応しい完璧な兵士でした。趙雲が主君の妻と息子を救うために、敵陣の背後から決死の覚悟で突撃した英雄的な行動は、何世紀にもわたり人々の心を掴んできました。700年以上前に書かれた古典小説『三国志演義』の中の描写が最も有名です。
敵の牙城へ
漢王朝の崩壊後、自分たちの旗の下に帝国を再統一しようと、さまざまな王国や軍の戦いが繰り広げられました。劉備は、軍の数では敵に圧倒されながらも、その優しさと王者の気概で領民の心を掴み支持されていました。領民たちは、自ら故郷や村を離れ、劉備とその軍勢を無条件に信じ、付き従いました。劉備は両手を広げて彼らを歓迎し、大切にしました。
民衆にとって劉備に付き従えることはありがたいことでしたが、劉備の軍にとっては戦術的に思わしくない結果となりました。何千人もの移民たちと彼らの荷物を守ることが軍の重荷となり、劉備とその軍を絶滅させようとする豪勇の将軍・曹操の進軍を避けることが難しくなってきたのです。
劉備の軍勢の動きは遅々として進まず、敵はジリジリと追いついてきました。劉備は趙雲に、自分の妻とまだ赤子の息子を含む人々を保護するように命じます。
この一行はどんどん遅れ、やがて味方からは、はぐれてしまい、敵陣の中に迷い込んでしまいました。自分が保護すべき人々が危険にさらされている状況下で、趙雲は劉備に、敵の牙城に飛び込んで彼らを見つけることを許可してほしいと懇願します。劉備は「自殺行為だ」と拒否しますが、趙雲の決意は固く、彼らを連れ戻すか、死ぬかのどちらかだと誓いを立てます。劉備は趙雲の気持ちを不承不承に受け入れ、趙雲は敵陣に飛び込みます。
民衆にとって劉備に付き従えることはありがたいことでしたが、劉備の軍にとっては戦術的に思わしくない結果となりました。何千人もの移民たちと彼らの荷物を守ることが軍の重荷となり、劉備とその軍を絶滅させようとする豪勇の将軍・曹操の進軍を避けることが難しくなってきたのです。
劉備の軍勢の動きは遅々として進まず、敵はジリジリと追いついてきました。劉備は趙雲に、自分の妻とまだ赤子の息子を含む人々を保護するように命じます。
この一行はどんどん遅れ、やがて味方からは、はぐれてしまい、敵陣の中に迷い込んでしまいました。自分が保護すべき人々が危険にさらされている状況下で、趙雲は劉備に、敵の牙城に飛び込んで彼らを見つけることを許可してほしいと懇願します。劉備は「自殺行為だ」と拒否しますが、趙雲の決意は固く、彼らを連れ戻すか、死ぬかのどちらかだと誓いを立てます。劉備は趙雲の気持ちを不承不承に受け入れ、趙雲は敵陣に飛び込みます。
石垣
数十人の敵兵を倒し、馬を半死に至るまで走らせ、趙雲はようやく母子を発見します。劉備の妻、糜(び)夫人は太ももを刺され、歩くことができませんでした。取り壊された家の石垣の下に身を寄せ、息子をあやしていました。
彼女は趙雲の姿を見て喜び、赤ん坊を無事に父親のもとへ連れて行くよう懇願します。
「一緒に行きましょう」と趙雲は促します。
「もう歩けません。足手まといになるだけです。皆が助からなくなります。私はここに残ります」
趙雲は拒否します。
「赤子を連れて行きなさい」
趙雲はまだ首を横に振ります。
「命令です!」
趙雲は糜夫人の前にひざまづき、差し伸べた腕に赤子を受け取ります。彼が赤子を包んでいる間に、糜夫人はこっそりと井戸まで這って行きます。趙雲が振り向くと、糜夫人は井戸に身を投じていました。
趙雲は、糜夫人を助けるという使命が目の前で消えてしまったことに恐れ慄きますが、糜夫人から託された使命を成し遂げることを誓います。遺体が敵の手で辱められることのないように、石垣の残骸を井戸に向かって押し倒します。そして泣く赤子を抱き上げ、帰路につきます。
曹操の命令
赤ん坊を胸に結びつけると、敵兵が近づいてきます。趙雲は槍を構え、先ほど駆け抜けた戦場に再び突入します。近くにいた敵兵を素早く倒し、劉備と彼の新たな陣地へと駆け抜けます。
趙雲は白馬を手に入れ、かなりの距離を疾走します。敵である曹操の二つの隊が地平線上に現れ、趙雲目指してやってきます。振り返るとさらに別の二隊が趙雲に追いつこうとしています。
将軍の指揮下にある小隊でさえ、前後から迫る大軍には屈したことでしょう。しかし、趙雲はこれら全ての軍とそれらを率いる将軍たちを凌駕しました。行く手を防ぐ二つの軍の隊長を切り倒し、仇を打とうとする兵士たちを槍の小技で素早く倒します。残された兵士たちは、この凄まじさに逃げ出してしまいました。
それほど遠くないところから、この単独の騎士を眺める者がいました。敵陣を率いる恐るべき曹操でした。
戦場を貫く一点の動きを指差し、「あれは誰だ?」と尋ねました。
中尉が走って尋ねに行き、「趙雲、字(あざ)は子龍」という名であることが分かりました。
曹操は、まず趙雲に対する畏敬の念を抱きましたが、まもなく自分のものにしたいという気持ちに変わりました。「あの男を生け捕りにしろ。虎を率いる虎だ。彼のような男が欲しい!」。そして、趙雲には矢を射ないようにと命令を下しました。
この命令が実質上、趙雲を守りました。矢が当たったら、趙雲も人間ですから倒れていたでしょう。しかし、馬にまたがり槍を振りかざすことにかけては、彼は無敵でした。
劉備の息子を届ける
赤ん坊を胸に抱いたまま、趙雲は見事な槍捌きで49人目、50人目と倒していきました。
そして橋を渡り、安全地帯である劉備の陣地に入りました。入るやいなや、趙雲は唯一の息子を劉備に捧げました。
「しかし、糜夫人を…助けることができませんでした」と、地面に顔を伏しました。趙雲の武具は血糊で塗られており、彼の功績を語っていました。そして、彼が心張り裂けんばかりに苦しんでいることは明白でした。
劉備は涙を拭いて、趙雲の両肩を自分の両手でしっかりと掴み、地面から立ち上がらせたのでした…。
――「神韻芸術団」(日本語ホームページ)より転載
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。