「最も美しい人であっても、神には及ばない」
フィレンツェの著名な画家サンドロ・ボッティチェッリ(1445-1510)が磨き上げた優雅な美と写実に近い画風が、ルネサンス早期の平面的な構図と寓話的な画風を、さらなる高みへと押し上げました。ボッティチェッリの絵筆の下の神々の姿は、ルネサンス最盛期ほど成熟したものではありませんが、それでも、思わず息を飲み込むような美を表現しています。
「ヴィーナスの誕生」では、ヴィーナスは貝殻の上に立ち、ブロンド色の長いカールヘアとふっくらした卵のようななめらかな肌、そして、すらっとしたその立ち姿は、まさに美の化身です。これは当時の芸術作品において、神と人間の奇妙な交差点を示しています。当時のフィレンツェ一の美女をモデルに描いた神の姿は、人間の本来の美を映し出しているのです。
「最も美しい人であっても、神には及ばない」(プラトン著『パイドン』)
ルネサンス期に創作された数々の美しい神が、壁や教会の天井から我々人間を見下ろしています。近代の産業革命までは、東洋であれ、西洋であれ、人は神々の加護の下で生きていたのです。
人類の物語
ルネサンス期に活躍した3人の巨匠の1人ーーミケランジェロの人物画はどれも力に満ちています。システィーナ礼拝堂天井画の中の人々は、どれもたくましい肉体を持ち、造物主や神々、天使たちと同じ画面に存在しています。神がアダムに生命を吹き込もうとする2人の指の隙間が、「人間と神との近接性」と「両者間の境目」を意味しているのではないでしょうか。
高い天井の上で、神話とされていた数々の場面が次々と明らかにされ、まるで入り混じる楽章のようです。人類が誕生し、その後、美しい「エデンの園」から追放され、そして、大洪水に遭いました。誰が人類の誕生と滅亡を広い天井に描き出せるというのでしょうか。ごく普通の人間がこの遥か昔の劇を1本の絵筆で描き出せますか?
創作の途中で、礼拝堂の壁の前の脚立が片づけられ、未完成の壁画が現れました。人々は地上に立ち、天井に広がる壮絶な人類の物語を見上げています。最初の観客の中には若い天才画家ーーラファエロ・サンティ(Raffaello Santi、1483-1520)の姿がありました。彼は天井に広がるノアの箱舟、予言者、神々、生命の樹などに心を惹かれ、そして、ヴァチカン宮殿にミケランジェロと肩を並べるほどの傑作「アテナイの学堂」を創作しました。
厳粛かつ理性的で、そして、古典的な空間の中、プラトンとアリストテレスがともに肩を並べ、その周りには神話に現れる人物や宗教人物、哲学者、政治家など、数々の著名な人物がいます。そして階段の下で考え込んでいるのがミケランジェロです。
ラファエロは調和の取れた構図と遠近法を駆使して、人類の智慧に満ちた高尚な姿を描き出し、ルネサンス期の絵画をもう一つの頂点へと導きました。このように神話の神々から倫理哲学の賢人、さらには幾何学、そして、宇宙論までラファエロは壮大なテーマを見事に1枚の絵画に収め、ルネサンス期における人類の精神を完全に表現したのです。
システィーナ礼拝堂天井画の完成から20年、ミケランジェロは人々の心に衝撃を与える傑作『最後の審判』を創作しました。一糸まとわぬ人物たちが恐怖、困惑、焦燥、苦痛など様々な表情を浮かべながら、地上や地獄でもがき、天へ登ろうと必死になっているのです。ミケランジェロのこの巨作は、ラファエロの慈愛深い聖母の姿と互いに呼応して、人間の心の底の恐怖と希望を表しています。
(つづく)
(翻訳編集 華山律)
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