【大紀元日本7月6日】和辻哲郎さんは1989(明治22)年―1960(昭和35)年まで、71年の生涯を生きた人です。孔子の生涯73年にほぼ近かったのも、何かの縁でしょう。和辻さんは昭和13年に『孔子』を岩波文庫に発表します。孔子の論語が巷間に、広く読まれることを願ったからでした。
和辻さんは西洋哲学に精通した、モダンな倫理学者でした。大正8年に出版した『古寺巡礼』がヒットして、奈良の鄙びた風土を世に高らしめた先駆者です。日本の風土から生まれる倫理学に一直線に取り組みました。その和辻さんが、中国の風土から生まれた聖者・孔子に挑んだのです。和辻さんは倫理学者らしく、キリスト・釈迦・ソクラテスと並ぶ人類の大教師の一人として、「孔子」の特徴を解明します。
和辻さんは「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という、孔子の言葉に関心を寄せます。弟子の子路が死を問うた質問に、「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らむ」と答えた孔子の言葉に、それは重ね合わさるものでした。死や魂の永世を問わず、神秘主義を脱して生の道に徹した孔子の生涯に、自ずと共感を寄せたのです。
「朝の道」は和辻さんにとって人倫の道がこの世に実現したことでした。この世に「人倫の道」が実現したなら、いつ死んでもよいという生き方に、孔子の仁の思想の核心を読み取ったのです。
「孔子以前の時代には宗教も道徳も政治もすべて敬天を中心として行われた。・・・然るに孔子は人を中心とする立場を興した。孔子に於ける道は人の道である、道徳である。・・・ここに思想上の革新がある。孔子もまた革新家である」(岩波文庫『孔子』)
和辻さんのお父さんは、姫路市で開業していた篤実なお医者さんでした。病者に尽くすだけの生涯を飾り気なく全うした後ろ姿が、和辻倫理学の基です。また和辻さんは、終生変わらない愛妻家でした。三人で一人の倫理学を、日本の風土の中にもたらした人でもあったのです。ヨーロッパ哲学と日本を結んで、「中国の孔子伝」の中で一度は語ってみたかった倫理学があったのでしょう。
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