風聲鶴唳(ふうせいかくれい)【ことわざ】

【風聲鶴唳(ふうせいかくれい)】

風の音や鶴の鳴声を聞いても、敵の追撃かと疑って、恐れること
→意気が阻喪して怖気づいた者は、なんでもないことに驚きあわてること。

紀元383年、前の王・符堅が東晋とうために、百万の軍隊を率いて陣を列ね、淝水に臨みました。東晋の将軍・謝玄が使者を遣わして、秦王の弟の符融に、「秦軍は岸に陣を列ねているだけで、すぐに我が軍と決戦しようとしているようには見えません。秦軍は少し後退し、我が軍に淝水を渡らせてから決戦したら、如何でしょうか」と提案します。

秦王の部下は皆、「晋軍に河を渡らせ、岸に登らせてはいけない」と反対しましたが、秦王・符堅は、「晋軍が河を渡る途中で彼らを殲滅することができるので、我が軍は少し後退してもいい」と主張し、符融もこの策が良いと思ったので、秦軍を指揮して後退を始めました。

ところが、秦軍が後退を始めるや否や、東晋の謝玄がすぐさま晋軍を渡河させ進撃してきたのです。符堅は後退を始めた秦軍を制御できず、多くの兵が殺されて大敗しました。生き残った兵卒は、よろいを棄てて闇の中を逃亡しました。彼らは、風の音や鶴の鳴き声を聞くと、晋軍がまた追って来たかと怯えました。

今日の中国共産党政権は、この諺のように、すでに草や木まで敵に見えるほど、ひどく怯えており、情勢が非常に不安定となっている。

出典:唐・房玄齢『晋書・謝玄伝』