ある年、張畏岩は役人になるための科挙という試験に落ちました。(photochic / PIXTA)

寛容で謙虚な心【世界むかしばなし】(7)

中国の明の時代、江蘇省の江陰に張畏岩(チョウ・ワイガン)という男がいました。地元では文章の達人として知られていました。

ある年、張畏岩は役人になるための科挙という試験に落ちました。男は試験の結果が貼りだされた掲示板の前で、自分に低い点数をつけた試験官をののしりました。自分こそ本当の学識を備えているという自信があったのです。

そこに道士が通りかかり、張畏岩にほほえみかけながら言いました。「あなたのお書きになるものは、きっとひどいものでしょうなぁ」

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孔子もかつて「その善なる者を選びこれに従い、その善ならざるものにして、これをあらたむ」と戒めたように、他人の良い面を自分が習う手本とし、他人の良くない面を自分の戒めとして、さらに自分の良くない点を改めるべきなのです。
人は間違いを犯すものであり、皆欠点を持つものです。寛大な心で他人を許すのは一種の美徳であり、そうすれば、憎しみを溶かし、悪縁を解き、敵を友に変えることができるのです。
中国では寛容と我慢が、一種の伝統的な美徳として称賛されてきました。孔子は「薄責于人、則遠怨矣」と語りました。曰く、他人を責めないで、理解と寛容の気持ちで接することができれば、自分も悩むことなく、穏やかな心情を保つことができるという意味です。
宋の粛王と沈元が使節として北方へ行き、燕山で宿をとった後、言葉使いが非常に優美な3000字ほどの唐の石碑を見つけた。沈元は記憶力が非常にたけていたので、何度も朗誦を繰り返すが、傍らを歩いている粛王は気にとめないようであった。
毎年、4月4日または5日に清明節が訪れます。日本で清明節と言えば、沖縄が特に注目され、中国と同様、祖先を祭り墓を清掃する風習があります。しかし、昔の清明節は、桜を愛でながら宴を楽しむといった行事でした。