2022年5月17日(火曜日)、アメリカ議会が50年以上ぶりに不明飛行物体(UFO)の公聴会を開催し、再びUFOの超常現象に注目が集まりました。
数十年の機密保持の後、UFO(公式には未確認航空現象またはUAPと呼ばれる)目撃事件を調査する責任を持つペンタゴンの2人の上級軍事関係者が、公聴会で証言し、注目を集めました。公聴会は、下院情報委員会のテロ、諜報、拡散防止小委員会によって開催されました。
公聴会で証言したペンタゴンの役人は、UFOの映像を披露しました。それは、軍用戦闘機が高速で通過する反射球体を示す短いカラー映像です。FA-18戦闘機の窓から撮影された瞬間画像によると、一定距離範囲内に球体が存在していました。パイロットも物体を観察したことを報告しています。この映像はまだ説明されておらず、短い映像で示された物体を理解することがどれだけ困難かを示しています。
この問題についての最近の公聴会は、1966年に共和党の国会議員であり、将来の大統領であるジェラルド・フォード(Gerald Ford)氏がミシガン州のUFO目撃事件について開催した数回でした。当時、数十人の人々がUFOを目撃し、警官数人も含まれていました。
近70年間の主要なUFO事件
1947年6月24日、CallAir A-2機を操縦していたパイロットのケネス・A・アーノルド氏は、上下に跳ねる9つの光る物体を見ました。それらは水面を跳び越えるように舞っており、2~3倍の音速で移動していました。これは、第二次世界大戦後アメリカで初めて全国的に報じられたUFO目撃事件であり、現代のUFO目撃事件の始まりとされています。その後の2〜3週間には、より多くのUFO目撃事件が報告されました。
1948年、イースタン航空のダグラスDC-3機に搭乗していた2人のパイロットは、巨大なシガー型の光線が高速で飛んできて、突然方向転換して晴天の中で消えたことを目撃しました。2番目の機体に乗っていたパイロットと地上の目撃者たちの証言も一致しています。これがUFOを間近で観察する最初の例であり、2人のパイロットは、それが通り過ぎた際に一列の窓を見たと説明しています。
1952年7月12~29日にかけて、ワシントンD.C.で一連の未確認飛行物体の報告が相次ぎました。これらの未確認飛行物体は、ホワイトハウスやアメリカ合衆国議会議事堂上空に現れました。UFOの歴史家カーティス・ピーブルズ氏は、この事件を「ワシントンUFO乱舞事件」と呼んでいます。
1966年3月14日から、ミシガン州およびその周辺地域の100人以上の目撃者が、低空で大型のフットボール形状の発光物体を目撃したと報告しています。
元アメリカ空軍上級大尉および核ミサイル指揮官のロバート・サラス(Robert Salas)氏は、2021年に彼が1967年に遭遇した核兵器を妨害する未確認飛行物体の体験について紹介しました。
1967年3月24日、サラス氏はモンタナ州のマルムストローム空軍基地の地下発射管制設備の指揮官でした。彼は、その時、10基すべての大陸間弾道ミサイルが「次々と数秒以内に非常に速く」落下したと説明しています。
彼は、地上施設を保護する責任を持つ警備員から「非常に速い奇妙な光」が基地上空にあると知らされ、その後、これらのミサイルが「起動不能状態」になったと述べました。サラス氏は当時、パニックに陥った警備員から電話を受けました。彼らは、ミサイルが落下する前にホバリングする物体を見たといいます。またエンジン音は聞こえず、入口の上空でホバリングしているそれは、飛行機のようには見えなかったと説明しました。
彼は、「これらの(未確認の)物体の能力は、何であれ、私たちの核兵器が作動しなくなる原因になったため、議論する価値がある」と語りました。
複数の元アメリカ空軍将校が、政府施設で未確認飛行物体(UFO)による核兵器の干渉事件を目撃し、UFOがアメリカの核兵器庫に直接的な脅威を与えているかどうかを調査するために公開聴聞会を開催するよう議会に呼びかけました。
(つづく)
(翻訳編集:源正悟)
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