【大紀元日本9月29日】
峨眉山月半輪秋
影入平羌江水流
夜発清渓向三峡
思君不見下渝州
峨眉(がび)山月(さんげつ)半輪の秋。影は平羌江(へいきょうこう)の水に入りて流る。夜、清渓(せいけい)を発して三峡に向かう。君を思えども見えずして、渝州(ゆしゅう)に下る。
詩に云う。峨眉山の上に、半輪の秋の月がかかっている。その光は、平羌江の川面に入るように映って、水とともに流れる。そんな秋の夜、私は清渓の船着場を発して、三峡へ向かう。やがて両岸の山がせまって、見たいと思っていた月も見えないまま、渝州へと下っていくのであった。
李白(701~762)25歳ごろの、傑作中の傑作といわれる一首である。余計な解説は蛇足の感を免れないが、どこが傑作なのか、目のつけどころだけ紹介しよう。
まず詩の舞台が圧倒的にすばらしい。峨眉山は、最高峰が標高3098m、四川省の名山である。古来より名高く、秀麗な山嶺には、山腹から頂上まで数多くの古刹名刹があり、中国仏教の聖地の一つとなっている。
霊峰・峨眉山にかかるのは半輪の秋月。影とは、陰ではなく光のことで、その月光が川面の水に溶け込むように映っているという。
なんと見事な秋の夜の光景であろうか。月は半月ではあるが、その月明かりによって川面は思いのほか明るい。本当の暗闇ならば、航行の危険があるため、夜の船出は避けるだろう。そんな秋の夜空に冴えわたる月を頼りに、青年李白を乗せた船は、希望と不安を抱きながらも力強く流れへとこぎ出すのである。
平羌江は峨眉山の北側をめぐり、やがて岷江(びんこう)にそそぐ。岷江はこの地方を流れる長江のことであり、渝州は今日の重慶にあたる。
有名な三峡は重慶の先にあるので、この詩ではまだ達していない。それでも両岸に迫る山のため、行く手を照らす頼みの月影は見えないという。
絶景のなかを進む李白。漢詩の醍醐味は、ここにある。
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