【大紀元日本8月31日】昔、秦淮河の下流の小さな村に、万如(ばんじょ)という名前の娘がいた。彼女は生まれた時、右手の掌の真ん中に一つの卍が刻まれていたため、両親に万如と名付けられたという。
ある日、万如は誘拐されて遊女屋へ売り飛ばされ、歌姫になった。彼女は体が汚れるこの遊女屋を心から嫌っていた。毎回、客が彼女をからかい、侮辱した後、彼女はいつも自分の体を思い切り叩いては、心の怒りと憎しみを発散していた。時には自殺することも考えたが、勇気がなかった。万如は毎日寝る前に、背筋を伸ばして静座し、佛という文字を百回書き、卍を百回描いた。
しばらくして、彼女は続けて数回、同じ夢を見た。遊女屋で大きな火事が発生し、人々の悲惨な叫び声と光景が見え、驚いて目が覚めるのである。彼女は、近いうちに遊女屋で火事が発生するから、それに備えて準備が必要だと他の娘たちに伝えた。しかし、娘たちは万如がいらぬ心配をすると嘲笑した。万如は仕方なく自分だけ金目のものなどを準備し、いざというときに備えていた。ある晩、万如はどうしても眠れず、部屋を出て窓際に座り、静かに佛号を唱えていた。突然、頭を上げると、窓の外で燃え上がる強い炎が見えた。彼女が慌てて皆を呼び起こすと、皆は狼狽し、叫び声が響いた。がめつい老女が急いで家屋の火を消しているうちに、万如は静かに準備しておいた荷物を持って、遊女屋から逃げ出した。
万如は数日間歩き続け、遥か遠くまで辿りついた。歩き疲れて川の岸で水を飲んでいると、一人の尼僧が川辺で洗濯をし、もう一人が水を汲んでいるのが見えた。川辺にたたずむと、山のほうから高く低く流れる鐘の音が聞こえてきた。重厚な鐘の音は彼女をうっとりとさせ、安らかな気持ちにさせてくれた。万如にふと出家したいという念が浮かんだ。彼女は尼僧たちについて山に登り、髪を剃り、出家した。
毎日、万如は尼寺で掃除、水運び、食事の支度をしながら、座禅と読経に励んだ。世俗を遠く離れると心は清らかになったが、一つの疑問が残っていた。それは、もし体が汚れたら、洗えばきれいになるが、心が汚れたら、どうやって徹底的に洗えるのか、ということだった。以前、遊女屋にいた時の辛い情景が心をよぎると、どうしても清い心に影響してしまう。時には、知らないうちに以前のことを思い出し、恥ずかしくて顔も耳も赤くなった。こんなに汚い体で、どうやって神聖な経文を読む資格があるのか。このため、長い間、万如は悩んでいた。
やがて、とても不思議なことが彼女の身に起きるようになった。毎回彼女が水を汲みに山を下ると、突然のように激しい雨が降り、雹も混じっている。突然降り出しては、彼女の体が痛くなるほど打ってきた。毎回15分から30分くらい続き、ぴたりと止んだ。万如はびしょ濡れの服のまま水を運ぶしかなく、ぬかるむ山道を歩いて尼寺に帰った。尼僧たちは、彼女が客を楽しませる歌姫をしていたので罪業が重く、徳行が浅薄だから、神と佛の怒りを買ったのだと噂した。万如は雨の理由が分からなかったが、忍び続けて一心に経文を読み、座禅を組み、修煉を続けた。彼女は、どんな事であっても、すべて因縁があると信じていた。佛を修める以上、現れるすべての因縁関係をあるがままに受け入れ、大きな忍の心を持って、修煉過程で現れるすべてのことに対処すべきだと思ったのである。
何年か過ぎたある日、万如が水を汲みに山から下りて来たところを一人の絵師が通りかかった。突然激しい雨が降ってきたため、絵師は急いで近くにあった東屋で雨宿りをしていた。この数年間、万如はすでに、このことに慣れていたので、大雨と雹に遭っても、慌てず、冷静に、内心では喜んでいた。なぜなら、天からきた雨水が彼女の体をきれいに洗っていたからである。絵師は、雨の中で悠々と水を運ぶ尼僧の姿を目にした。
絵師が見上げると、手に浄瓶を持った菩薩が宙に漂いながら、柳の枝を取り出し、絶え間なく尼僧の体を水で清めているのが見えた。絵師にはそれがはっきりと見えたのでとても驚き、菩薩に向けて何度も手を合せた。同時に、この雨はあの尼僧のために降らしていることに気が付いた。尼僧の体からは座禅を組み、結印している男性の姿が現れた。その男性は蓮の花の上に座り、神聖で慈悲深く、威厳があった。
雨が止んだ後、絵師は記憶を頼りに目にした光景を描き、それに詩をつけた。詩のタイトルは「浄水」である。
苦のなかの苦は最も貴重であり、
一筋の浄水は凡人の体を浄化させる。
縁あって、眼の玉を書き入れると俗世の謎は破れる、
大千世界の無数の衆生は佛を拝む。
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