第二章 裏切られた期待と開拓団での生活
私たちがバスから降りたとき、目に飛び込んできたのは、一面の荒れ果てた山と野原でした。3月の黒龍江省はまだとても寒く、地面もまだ凍っていました。大地は一面枯れた雑草に覆われ、山にも緑は全くなく、麓に新築のレンガの平屋が幾棟か並んでいるだけでした。
当時の私は、この光景を目の当たりにして、自分の目を疑うほど強いショックを受けました。まるで夢の中にいるようで、私は心の中で眼前の現実を必死に否定しようとしました。「こんなはずがない、うそだ。ここは絶対に私たちが目指していた所なんかじゃない。お父さんは、羅津市よりもっとすばらしいって言っていた……」。
しかし、耳には人々の話し声が聞こえました。これは夢ではありませんでした。私の心は一瞬にして何が何だかわからなくなりました。父を見ても母を見ても、表情はとても険しく、いつものやさしい笑顔が消えていました。両親も、ここが目指していた所ではないんじゃないかと疑っていたのかもしれません。私はすぐに、どうもとても恐ろしい事態になっているように感じました。祖母が当初予想していた「万が一」のことが現実になったようです。
その時、開拓団の石井房次郎団長が、各家のお父さんと握手しながら、「皆さん、長い旅ご苦労様でした。新天地の開拓にようこそおいでくださいました。皆さんの家はすでに用意してあります。玄関に表札がありますので、どうぞ、中に入って休んでください」と声をかけました。
間違ってなんかいませんでした。そこが正しく目的地だったのです。私たちの家は本部のすぐ隣で、道路のそばの一軒家の平屋でした。玄関の前には井戸がありました。
家に入ったとき、私の不安はますます強くなりました。父が憧れていた中国の地はこのような荒れ果てた山間であるはずがありません。私は漠然とした不安に襲われ、ひたすら力なく両親の顔を見つめていました。父も母も、こんなはずじゃなかったと感じているようでした。
父は、日本を出発する前に受けた説明と全然違う、とつぶやきました。両親は騙されたのではないかと思ったようです。母は小さな声で父と何か話していました。父のその時の心情が普段ととても違うのが、当時の私にも分かりました。父の性格は、本来とても明るく、どんなことに遭ってもいつも冗談を言うのが好きで、周りの人々を随分笑わせていました。父はそのように、ユーモアに溢れ、悩み知らずの人として有名でした。祖母もよく父のことを、「物事を難しく考えず、悩み知らず」と言っていました。だからこそ、そのときの父の様子を見て、私はますます不安になったのです。
他の家のお母さんが、ここに来たのを後悔して泣き出しました。ご主人を責める奥さんもいました。当時、私はまだ幼かったので、大人の人たちの気持ちと悩みは理解できませんでした。しかし、眼前の現実と父の珍しい表情を目の当たりにして、私はわけもわからず、心配になってきました。
その日の夜、父の親友の新井さんが家にやって来て、一晩中、父と小声で何か話していました。何を話していたのかはわかりませんが、母もそばに座って、黙って二人の話を聞いていました。どうも、三人は何か相談している様子でした。
そのときの母の態度には驚きました。涙を流すこともなく、一言たりとも父を責めることもなく、反対に父を慰め、二人の男の人を励ましていたのです。私は突然、暴風雨の船上で母から聞かされたあの物語を思い出しました。母の当時の冷静で前向きな態度は、確かに家族の心を落ち着かせ、私の内心の不安を随分取り除いてくれました。
父は気を取り直して、みんなに、もうここに来た以上、後悔してもしかたない。何とかして生きていかなければならない、と言いました。
(つづく)
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