『ベルサイユのばら』に描かれる18世紀フランス像は、しばしば旧日本社会の現実が投影されている。作中の逸話を通じ、日本とフランスの本質的な相違と、その歴史観の歪みを考察する。(Shutterstock)
虚構が作る歴史『ベルサイユのばら』と歪められた日本人の革命イメージ

第4回:江戸がヴェルサイユを覆う――日本式封建ドラマとしての『ベルばら』

漫画『ベルサイユのばら』の映画版は、昨年(2024年)の秋に公開された。原作の漫画は池田理代子氏によって描かれたものであり、「少女漫画」あるいは「恋愛小説」と呼ばれるジャンルに属している。本記事はこの映画、そして原作漫画について論じる全5回シリーズの第4回目の記事である。

ここで、私たちのささやかな分析の中で最も興味深い点、そして多くの評論家たちが見過ごしていると思われる点に触れる。それは、日本の歴史をフランスに投影している点である。

この傾向は一方で顕著に現れ、他方で歴史的には全く誤ったものである。この点は、日本とヨーロッパ(ここではフランス)が類似した、同等の歴史を持つと信じる日本の歴史学の伝統を如実に示しているだろう。これは、日本の誇りを支え、現在の状況を安心させる方法でもあるだろう。

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