孝悌と仁義【雅(みやび)を語る】

孝:子供が親を尊重し、親に仕えることが孝行とされています。

悌:兄弟姉妹同士が争わず、協力し合い、仲良く暮らすこと。

仁義:人間関係や社会における良い行動の原則

雅:優れた品質や上品さを表現することで、美しく品の良いこと。

親孝行があり、兄弟姉妹への友愛があってこそ、社会に対する良い行いが可能になるのです。それが、美しく上品な社会を作り上げる土台なのですね。昔はそのような雅のある人が沢山いましたが、今はどうでしょうか?

さて、中国の文化には、広く伝えられているムーランの物語があります。ムーランという未婚の少女が、国の王による集団徴兵に対し、徴兵状に父親の名前が書かれていたのを発見し、父親はすでに高齢で、家族には父親以外の男性はいなかったのですから、智慧を絞って父を守った物語ですね。

そこで、ムーランは男に変装して、父の代わりに軍隊に入り、12年間も外地で戦いました。 この間、彼女は家に帰りたい、両親に会いたいと思い続け、それでも、苦難に満ちた日々を耐え抜いたのです。12年後、ムーランは凱旋し、皇帝から授かった高い地位と手厚い俸禄を辞退し、ただ一刻も早く故郷に戻り、両親と再会したい思いを伝えました。

そして、娘の服装に着替え、再び父親の前に立った時、皆ムーランが女の子であることにようやく気づいたのでした。

この物語は、ディズニーによって映画化され、他にもいくつものバージョンに実写化されています。今では知らない人はいないでしょう。

なぜ「ムーラン」の物語は東洋でも西洋でも人気を得ているのでしょうか? それは、人間の親への愛が共通であるためです。ムーランが体現している親孝行、年老いた父を守るために示した勇気と知恵は、現在でも人々に感銘を与え、称賛されているのですね。誰もの共感を呼ぶ本性だからでしょうか。

では、なぜ私たちと両親の関係が非常に重要なのでしょうか? 中国文化では、「推己及人(人の身になって考えること)」という考え方があります。最も近い関係から始めて、段階的に拡大していきます。自分自身を修めることから、家の調和、国の治め、そして天下の平和まで、という順番なのですね。

私たちを育ててくれた両親の苦労を知り、それを肝に銘じられるようになると、兄弟姉妹間でも思いやることができるようになります。兄弟姉妹との良好な関係を知ると、社会に入って同僚や友人との付き合い方もわかるようになるでしょう。したがって、両親との関係は、社会に入った際に上下関係との付き合い方にも影響してくるのです。中国文化では、夫婦関係に次ぐ2番目に重要な関係とされています。

孔子の『論語』には、「有子曰く、其の人と為りや孝弟(こうてい)にして、上を犯すを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すことを好まずして、乱を作(おこ)すを好む者は、未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁の本為るか」という一説があります。

その意味は、親思いの者が、目上の者に逆らうようなことは少ないのですから、目上の人に逆らうことを好まない者が反乱を起こすことは少ないのです。君子というのは、物事の根本を大切にする人です。親思いで目上の人を敬える者こそ、「仁義」の心を持っている人と、判断できるのですね。

そして、子供たちの良好な人格や品位は、家庭で両親に孝行し、兄弟姉妹に友愛を示し、家庭内での孝悌を実践することによってのみ培われるのです。家庭内での実践があって初めて、社会での仁義を語ることができるのということですね。したがって、中国文化において孝悌は仁義の基礎となっているのです。

漢武帝の時代には、毎年各地から非常に孝順で清廉公正な人物を、朝廷に推薦することが求められていました。彼らは皇帝の側に仕えるチャンスが与えられ、一方でその品行が実際にそうであるかどうかを評価され、さらには、彼らが官僚として、どのように仕事をするかを教育されました。

審査に合格した後、彼らは地方に送り返され、地方官として任命されます。想像してみてください。社会の中で、品行の良い人々が表彰されると、社会の風潮は善の方向に向かって発展し、人々の心に良い影響を与えるのではありませんか。親孝行と友愛、ムーランが皆を魅了するのは、まさに人の心を洗うからですね。
 

 

雅蘭