【法顕】玄奘より200年以上前に天竺に仏教の経典を求めた者(2)
【法顕】玄奘より200年以上前に天竺に仏教の経典を求めた者(1)
公元402年、法顕一行はシルクロードの「死の地」として知られる葱嶺(パミール高原)を越えました。この地域で盗賊が横行し、数え切れないほどの商人が命を落としました。山の積雪は一年を通じても溶けず、法顕は何度も雪崩を目撃しました。
崖がそびえ立ち、険しい山道なので、過去に人が岩石を掘り抜いて、通路を建てました。65歳の法顕は700段以上の階段を登り、川に架かるロープを掴んで、川を渡りました。同様の危険な道は数十箇所ありますが、漢代の張騫や甘英ですら到達しなかった場所です。
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