華佗(かだ)は、中国の医師であり、高齢でありながら若々しい容姿を保っていたこと、そして魔法のような診断や治療を行ったことから、不老不死の存在と見なされていました。
彼は2世紀に、戦国武将の曹操の脳に腫瘍があると診断したと伝えられています。これはCTスキャナーが発明される何世紀も前のことです。華佗は腫瘍を取り除くため手術を申し出ましたが、曹操は暗殺の企てだと疑い、華佗を殺してしまいました。
「曹操は彼を召し抱えて侍医にしましたが、華佗が後に再び治療のため戻るのをためらったことで激怒した、もしくは華佗が頭痛の治療として脳手術を提案したときに暗殺の企てだと疑ったのです」と、オレゴン州ポートランドにある伝統医学研究所の所長スブティ・ダルマナンダ氏(Subhuti Dharmananda)は、同研究所のウェブサイトに記しています。
この出来事については、『太平洋東洋医学ジャーナル』に掲載された「華佗の生涯と医療実践」という記事にも記録があります。「華佗は曹操を診察し、頭痛は頭蓋内に空気と液体が溜まっているせいだと告げました。薬では効かず、麻酔をかけて頭蓋を開き、溜まったものを取り除く必要があると言ったのです」とブライアン・メイ氏(Brian May)は書いており、これは『三国志演義』に基づく話だとしています。
華佗は、どのようにして曹操の頭痛の原因が腫瘍であると診断できたのでしょうか。また、他の患者の体内の問題をどのように見抜いていたのでしょうか。華佗の名声は、曹操の治療に失敗する以前の、数多くの成功した診断と先進的な治療によって築かれました。
「彼は開腹手術や臓器移植、麻酔の使用を先駆け、脾臓摘出や人工肛門手術を含む腹部手術を最初に行った中国の外科医とされています。神経学的には、頭痛や麻痺の治療のための処置も行ったと伝えられています」と、2011年に国際小児神経外科学会のジャーナルに掲載された「中国最初の外科医:華佗」という論文に記されています。この論文は、ニューオーリンズのチュレーン大学医学部神経外科教授R・シェーン・タブス(R. Shane Tubbs)らによって書かれました。
華佗はどのようにして体の中を「見た」のか?
中医学には、外から現れる症状から体内の状態を探るためのいくつかの技術があります。そのひとつが脈診です。脈が体の変化によって敏感に変わることを、偉大な医師たちは察知できたのです。しかし、頭の異常を検知したとしても、それが腫瘍であると、どのようにして分かったのでしょうか。
「古代の中医学の医師の中には、透視能力や超感覚を持っていたとされています」と、鍼灸学の博士号を持つシアン・ジュン氏は、自身のウェブサイトで述べています。
華佗は、道教を実践していたことで知られています。彼は神の導きを仰ぎ、この方法で自らとその能力を高めていったといわれます。中国の伝説に登場する道士たちは、しばしば超常的な能力を持っていると語られます。現代の科学者の中にも、精神的な修行が人々に超常的とされる力を育むのではないかと研究する人たちがいます。
例えば、ノエティック・サイエンス研究所の主任科学者ディーン・レイディン(Dean Radin)は、歴史上の精神修行者や超常的能力について多く執筆しています。
彼の著書『スーパーノーマル:科学、ヨガ、そして超常的な精神能力の証拠』では、「西洋で教育を受けた学者にとっては、例えばテレパシーの存在だけでも超常的であり、非常に異常だと思われるでしょう。しかし、経験豊富なヨギー(インドの修行者)にとって、それはつまらないほど普通の小さな成就(サンスクリット語で瞑想の達成、または力の意)に過ぎません」と述べています。
ダルマナンダ氏は華佗について、「優れた道士であり、その原則に従った彼は、名声や富を求めず、多くの称賛を受けても動じなかった」と記しています。
また、ダルマナンダ氏によると、曹操は紀元207年、華佗を97歳の時に処刑したと『魏志(ぎし)』に記されているそうです。それでも華佗は、当時も健康で若々しく見えたといわれます。
「健康を保つ術に長けていた華佗は、100歳近くになってもなお壮年のような姿をしていたため、不老不死の人と見なされていました」とダルマナンダ氏は書いています。
「歴史書『三国志』と『後漢書』の両方に、当時の人々は彼が100歳近いと思っていたと記されています。『後漢書』には、彼の死後、仙人になったとも書かれています」と、『華佗の生涯と医療実践』の共著者であるメイ氏、トモダ・タカコ氏、マイケル・ワン氏は記しています。
中国で最初に広く知られた外科医
現在の中医学では外科手術はあまり一般的ではありませんが、華佗が患者のために独自の麻酔を使って手術を行った記録は多数残されています。
『中国最初の外科医:華佗』に記されている、彼が患者に対して行った開腹手術のひとつにはこうあります。「開腹手術の際、華佗は患者に薬草の調合液を飲ませ、患者が意識を失うとすぐに切開を行いました」
記事で言及されている薬草の調合液は、華佗が発明した麻酔で、患者が手術中にほとんど痛みを感じないようにするためのものでした。
ダルマナンダ氏も、華佗が開腹手術を行った記録を紹介しています。「10日以上にわたり腹痛に苦しみ、髭と眉毛が抜け落ちた患者が華佗に治療を求めました。華佗は腹部の悪化と診断し、麻酔薬を飲ませ、腹部を切開して悪い部分を取り除き、縫合して薬を塗り、さらに薬草を処方しました。患者は100日後に回復しました」
鍼灸の医師
中医学では、鍼治療によって病気を治したり、一時的に和らげたりすることができます。華佗の鍼の腕前は非常に優れていたといわれ、歴史上最高の鍼灸師のひとりとして知られています。彼の名を冠した一連の経穴は「華佗夾脊(かだきょうせき)」と呼ばれています。
「華佗の経穴は、脊柱の両側に沿って一列に並んでおり、華佗夾脊(夾=並ぶ、脊=背骨)と呼ばれています。華佗が特定の症状の治療にこの経穴を好んで用いたとされるため、彼の名が付けられています」と、ダルマナンダ氏は書いています。
華佗は、自らの知識や経験を本に記しましたが、それらの書物は失われました。しかし、その卓越した才能を伝える記録は残っています。そのひとつに、華佗が鍼治療で女性の命を救ったという驚くべき逸話があります。
「流産後、ひどい腹痛を訴える女性が華佗のもとを訪れました。華佗は脈を診て、彼女が双子を身ごもっており、死んだ胎児が体内に残っていると診断しました。わずか一度の鍼治療で死胎を排出させたのです」と、『中国最初の外科医:華佗』の著者タブスらは記しています。
(翻訳編集 井田千景)
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