20世紀の記憶(大紀元エポックタイムズ・ジャパン)

117年前の「9月5日」日比谷焼き討ち事件が発生【20世紀の記憶】

20世紀の日本は、その船出からして、巨大な荒波にもまれた。

日露戦争(1904~05)で「日本は激戦の末、大国ロシアに勝利した」と国民は思っていたが、実際は薄氷を踏むようなものであり、日本にはとても戦争を継続する余力はなかった。

その点はロシアも同様で、内政がきわめて不安定になっていた。日露戦争中の1905年1月22日、首都サンクトペテルブルグでおこなわれた市民の請願行進に軍隊が発砲して「血の日曜日」と呼ばれる惨事が起きる。この事件を発端として、以後、帝政ロシアの根底をゆるがすロシア第一革命が2年5カ月にわたって続く。

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