神韻の公演をご覧になった方は、忘れることのできない優美な歌と踊りに加えて、華麗な衣装や小道具、リアルな空のシーン、人生の情景を再現する軽快な歌と踊りなど、絶妙な舞踊劇にも驚かれることでしょう。古代中国の生活の一場面を再現し、伝統文化の物語が生き生きと表現されています。善、悪、忠実、裏切り、仁、義、礼、智の物語に、人々は感嘆のため息をつきます。今日は、「忍耐」にまつわるエピソードや意味についてご紹介しましょう。
『説文』(最古の部首別漢字字典)には:「耐えることができる」、『広雅』(中国の字書)には:「忍耐とは耐えること」とあります。古い言葉に「山を登る際には傾斜の険しい道に耐え、雪道では危険な橋で落ちないように耐えなさい」とあります。忍耐とは耐えることです。一般的に、「忍耐」は「能力」であり、それは人の資質であり技能であり、人体の能力の具現化であると言われています。忍耐は伝統的な中国の美徳の 1 つであり、儒教、仏教、道教のいずれもが忍耐を重視しています。
屈辱に耐えて人を済度する
神韻の公演の中で、小さな舞踊劇がありました。年老いた僧侶が捨てられた孤児を拾いましたが、私生児と言われ、あらゆる侮辱を受けました。老僧は弁明することもなく、恥辱を忍んで子供を育てました。その後、子供の実の父親が科挙試験で優秀な成績を収め、出世して故郷に帰って来たとき、ついに老僧の潔白が証明され、世間は悔い改めて善良な心で向き合うようになり、老僧は無事に涅槃に入りました。
これは、僧侶の忍耐力のなせる業です。仏教では袈裟(けさ)のことを「忍耐の衣、屈辱の鎧」と言い、僧侶が袈裟を身に着けたならば、世の中の八風(賞賛、嘲笑、破壊、名誉、利益、損失、不幸、喜び)の栄辱に耐え、様々な環境の中で自らを鍛え、昇華させ、心の器と思いやりを広げ、修養を積み、世の人を済度するのです。
忍耐、得られないものを得る
「刀の切れ味は研ぎから、梅の花の香りは厳しい寒さから生まれる」という格言があるように、困難な環境や過酷な出会いは、多くの場合、人の意志を鍛え、潜在能力を刺激する機会となります。
司馬遷によって編纂された『史記』。「太史公自序」によると、西伯侯(周の文王)が周王によって羑里(現在の安徽省安陽市湯陰北)に7年間幽閉され、孔子は魯の国から追放されました。陳と蔡の国で「家族を失った犬」のように流されながら、彼は巨作『春秋』を完成させました。また屈原も正しい助言をしたために追放され、巨作『離騷』を完成させました。左丘明は両目を失明してから『國語』を書き上げました。孫臏は膝を切り取られてから兵法書を書き上げました。これら古代の賢者たちは皆、苦難と逆境の中で、忍耐力と意志の力で努力し、ついに後世に残るような名作を書き上げました。
孟子はこう言いました。「天が人に大きな使命を託すとき、まずその人の意志を試し、肉体を苦しめ、飢餓や貧困に突き落とし、何事も思いどおりにならないような試練を与えるのである。このようにして彼の心の器を大きくし、気性を強靭にし、能力を高めるのだ」
忍耐にはもう一つ、「無慈悲であること」、ひいては「残酷であること」という意味があります。それは物事の二つの側面、つまり、ポジティブとネガティブ、善と悪です。したがって、慈悲や優しさのない盲目的な忍耐は、歴史上の裏切り者のように残酷なものになるだけです。だから「忍耐」には同時に「慈悲」も必要です。
徳があり志を有し、克己復礼(こっきふくれい)の忍
孔子は、顔回は「本当に高潔な人だ。竹籠に食事を入れ、水を杓子ですくい、質素な路地に住む。普通の人はそのような貧困と悲しみに耐えることができないが、顔回はそれを楽しんでいる」と述べました。
人はよくこれを「貧困に安んじ,自ら信ずる道をよろこんで歩む」と言いますが、おそらく幼い頃から顔回は、「掟を破らずにやりたいことをやる」ことができたので、忍耐する必要がなく、自然と道理にかなった境地に達したのでしょう。
もし人が十分に修養しておらず、世の中のあらゆる種類の誘惑に直面し、自身の怠惰で悪い癖に直面した場合、暗室の中で後悔することがどれほどあるでしょうか。したがって、君子は、徳があり志があり、自制して礼儀を守るべきです。外的な苦難や逆境に耐えることは忍耐であり、「流されるのが一般人であり、逆らうのが聖人」です。自身の内なる選択を堅持し、流されず、外的なものに惑わされず、自分の意志を貫くことも忍耐です。
忍耐とは、捨てること、あらゆる種類の悪い考えを放棄することです。儒教は自制して礼儀を守ることについて語り、道教は返本帰真について語り、仏教は執着を手放すことについて語り、これらはすべて忍耐の内涵(内包的意味)です。
修身、修徳には強い志が必要で、強い忍耐力が必要です。実際、キャリアを達成するために、持続性や忍耐力は欠かせません。「舞台の上の一分、舞台の外の十年の功」とは、舞台上の役者の輝きは、舞台の外での十年の苦労の結果であるという意味です。神韻のリードダンサーである秦歌さんが座右の銘にしているように、「最も簡単なのは堅持することですが、最も難しいのも堅持すること」なのです。
(つづく)
(翻訳・郡山雨来)
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