聖ニコラウス 「サンタクロース」の由来
聖ニコラウスという聖人をご存知でしょうか?
聖ニコラウスはサンタクロースのモデルとされている聖人で、今から約1600年前、トルコのリュキアの裕福な家庭に育ち、若い頃から司教となり、赤と白の司教服を着てロバに乗り、各家庭の子どもたちを訪ねてプレゼントを配りました。プレゼントはお菓子や小さな木のおもちゃだけでしたが、子どもたちはとても楽しんでいました。
非常に人々に慕われた聖ニコラウスですが、ある時は、身売りしなければならない3人の貧しい少女に、金を入れた袋を3つ与えて助けました。また、人々の病気を取り除く不思議な力があったとも言われています。
西暦342年に聖ニコラウスが亡くなった後も、オランダ人はずっとプレゼントを配り続け、17世紀の頃も子供たちは暖炉のそばにロバ用のわらを入れた木靴を置いて、サンタクロースが来るのを待っていました。この習慣がアメリカに伝わり、木靴に代わって、より実用的な靴下が使われるようになったようです。
聖ニコラウスの名前は今日では、サンタクロース(北米)と呼ばれたり、シンタクラース(オランダ)と呼ばれたり、ラ・ベファーナ(イタリア)と呼ばれたり、ファーザー・クリスマスまたはペール・ノエル(フランス)と呼ばれたりします。またイギリスのサンタクロースはフランスと同様にファーザー・クリスマス(クリスマスの父)と呼ばれ、他のサンタより凛としてスリムな姿で描かれています。
11世紀末、イタリアの宗教兵士が、聖ニコラウスの遺品をイタリアに持ち帰り、港町バーリに聖ニコラウスを偲ぶ教会を建立しました。やがて、世界中のキリスト教徒がこの教会へ巡礼に訪れるようになりました。巡礼者たちが聖ニコラウスの物語を自国に持ち帰ったため、ファーザー・クリスマスの伝説は各国独自のものとなりました。
12世紀のヨーロッパでは、聖ニコラウスの記念日を祝って、贈り物を交換したり、チャリティーイベントを行ったりしました。ドイツ、フランス、オランダでは、12月6日を宗教的な記念日として祝い、子供たちや貧しい人々に贈り物をしました。
1960年代、アニメーション作家トーマス・ナッシュさんが、雑誌「ハーパーズ・ウィークリー」の挿絵として、ぽっちゃりとした優しいファーザー・クリスマスを描きました。この「ファーザー・クリスマス」のイメージは、アメリカ人の心の中に根付き始め、やがて、ファーザー・クリスマスのイメージはヨーロッパに戻り、南米をはじめ世界中に広がっていったのです。
今日知られているファーザー・クリスマスは、赤いローブと赤い帽子をかぶった、太っていて赤ら顔の、白くて長いひげを生やした男性です。
実は、聖ニコラウス本人は、まったく太っていませんでした。聖ニコラウスは当初、ロバを移動手段として使っていましたが、現在ではサンタクロースが、おもちゃやプレゼントを満載したそりを数頭のトナカイに引かせ、一軒一軒の家を訪ねてプレゼントを届けています。
(翻訳・李明月)