「養」生を語る

伝説によると、神々が黄帝のもとに官吏として倉頡を送り、文字を作らせ、文字に教育的な意味を持たせ、文字を学び人間としての道理を理解させたといいます。

例えば、「養」という文字を見ると、「養」には物質的な意味と精神的な意味があることがわかります。 物質的には「養」の上の部分は「美」の文字、下の部分は「食」の文字で、合わせて「美食」になっています。美食というと、色、香りや味にこだわった栄養価値の高い食べ物というイメージです。 

『神農本草経』では、薬草を上・中・下の3品に分けています。 上質な薬草は、補気益精で、体を強くして寿命を延ばす役割があります。 現代社会では、勉強、仕事、家庭、キャリアなどのプレッシャーからくる疲労や虚弱体質を改善するために、薬膳の飲食補助の養生が盛んで、飲食補助で健康で長寿の実現が求められています。 実際には、飲食だけでは十分ではありません。 食品から得られる栄養素は体が必要とする分しか維持できません。では、生命には飲食補助以外に何が必要なのでしょうか?

さらにスピリチュアルな視点で「養」という文字を見てみると、上部には「美」以外に「善」があり、下部には「食」以外に「良」という文字が隠されていることが分わかります。 この2つを合わせると、「美食」と「善良」になります。養生というのは美食をするだけでなく、善良を維持することが大切です。善良は、美食という栄養物質の上にある精神的な物質で、さらに重要なものです。 これはなぜでしょうか?

それは、善良が人を穏やかにするからで、これを人体の五臓に当てはめると、仁、義、礼、智、信が具現化されるからです。 例えば、善良が肝臓に影響すると、慈悲深さとして現れます。 慈悲深さを保ち、肝の気を自由に流すことができれば、脾の気で外界の人を傷つけることもなく、自分に対して滞った肝の気で脾胃を傷つけることもありません。 肝臓が脾臓や胃腸を攻撃していると、食欲がなくなります。たとえいくら素晴らしい美食をしても健康にはなりません。養生の秘訣は善良さを維持することです。

「養」という文字には、5千年の中国文化に含まれる、神が伝えた知恵が現れています。

(翻訳・李明月)