(国立故宮博物院)

盲目の男の眼を治したのは仙人だった

明代の隆慶帝万暦時代、福建省出身の許生は幼い頃に「易経」を学び、中年の頃、10年間眼病を患いましたが、治癒しませんでした。そして彼は丙戌の年(1586年)にとうとう盲目になりました。

庚戌年(1590年)の元日、許生の家には突然白檀の香りが漂いました。辰の刻(7時から9時)から戌の刻(19時から21時)まで部屋中がこの香りで満たされました。 家族は驚き、何の前兆なのかと思ったそうです。

その年の夏、町の宿に泊まっていた1人の客が、船で海に出たいと言い出し、渡し場に行ってその方法を聞いていました。 その客は非常に力強く、がっしりとした体格で、頭には黒い布を巻き、長い外衣を着て、壊れた靴が一足だけ入った布製の鞄を持っていました。

宿屋の者は彼を不審に思い、どこから来たのかと問い詰めて口論になりました。 その客は、自分が呉から来た者で、薬を処方するのが得意だと言い、多くの病気、特に目の病気を治すことができ、目が見えなくなっても視力を回復させることができると主張しました。

その時、許生の親戚が来ていて、この客の話を聞き、急いで許生に伝えに行きました。許家はこの呉からきた男を家に呼び寄せました。男は許生の目を診ると「治るはずだ 」と言いました。

許生は、「目が見えなくなってから5年が経った。 あらゆる治療法を使い、たくさんのお金を費やしたが、効果はなかった。 あなたは、人生を支配する神様ですか?  再び目が見えるようにさせることはできますか?  私の目が治ることは不可能でしょう。 今、私は白髪だらけで他に何もありません。それに、家が貧しく、治療費を払うことができないので、きちんとお礼を言うことしかできません!」。

それを聞いた男は笑顔で、「ではお金を払わなくてもいいというのはどうか?」と言いました。それを聞いた許生は大いに感謝し、処方箋を求めました。 彼が書いた処方箋は、古書に書かれている処方箋に基づいたものではなく、珍しい高価な薬が使われていました。許生は一家をあげて、髪飾りや耳飾りを質に入れて薬を買いました。

その薬の味は非常に苦かったものの、許生はしぶしぶ飲み込みました。 宿に滞在している間、医者は毎日許家に通っていました。許家は男を丁重に扱い、酒や肉を用意していましたが、男はそれを食べず、毎回どんぶり一杯のご飯を食べるだけでした。

男が着ていた服はボロボロでしたが、肌着は上質な絹で、肌に触れる部分は雪のように白いものでした。 暑い夏の日にもかかわらず汗をかいている様子は無く、服にも汗のシミは見られませんでした。許家では彼を特別な客として扱い、外衣と靴を作ってプレゼントしました。男はそれを受け入れましたが、結局、彼がそれらを着ているのを誰も見たことがありませんでした。

許生は男が用意した薬を飲んで、だんだん上まぶたの緊張が和らいだ感じがしました。そしてある日、突然左目が開き、右目もだんだんと開いてきました。まだ視界は霧の中のようでぼやけていましたが、妻が自分に会いに来たのが見え、とても驚きました。

この時、医者は許生の家に入り、「今日、あなたが治ることを知っていました 」と言いました。許生は妻を連れて医者に感謝しました。 彼は、「今日はお礼をしてもらわなければならないが、何も用意しなくてもいい、魚の麺があるだけでいい 」と言いました。 しかし、許家には魚の麺がありません。 しばらくして、誰かが料理と酒と麺を持ってきてくれました。 客は数杯の酒を飲みましたが、飲み過ぎたようには見えませんでした。

食事中、医者は銅と鉛の破片を取り出してから、袖から緑色の薬を取り出し、「この薬は、銅や鉄、白金などに変えることができる。 この呪文をあなたに伝えたいが、もしあなたが家を出たいなら、私はあなたを連れて行脚に出かけるのだが」と言いました。

許生はお礼を言うと、「私には少し畑があり、濃いお粥も作れる。 目が見えなかったが、あなたのおかげで再び光を見ることができた。それだけで十分だ。 私はこの秘術を手に入れたいわけでも、旅に出たいわけでもない」と言いました。

医者は微笑んで納得し、許生に目の治療法が書かれた本を渡しました。 処方箋に使われている薬は、十数種類の雑多な処方箋のリストに加えて、古書に書かれているものとは異なる、かなり不思議なものでした。許生は客に敬意を払い、本を受け取りました。

医者は 「私は海を旅して、帰ってきたらあなたのところに戻ってくる 」と言いましたが、それから許生が彼に会うことは二度とありませんでした。

許生はその本に書かれている処方箋に従って、何百人もの患者を治しました。目の病気が軽度でも重度でも、薬で治すことができ、とても効果的でした。老齢になっても、竹かごの明かりの中で字を書いていた許生は、若い頃よりも視力がよかったと言いました。

許生は、客が仙人であると信じていました。家の中に儀式を設け、家の中で何かがあると彼に祈りを捧げると、とても効果的でした。そして許生は万里の時代の終わり(1620年)まで生きていたようです。

「涌幢小品」第29巻により

(翻訳編集 里見)

 

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