【紀元曙光】2020年10月28日

あれは、社会現象とも言うべき大騒ぎであった。

▼1972年10月28日。中国から日本へ贈られたジャイアントパンダの雄雌2頭、カンカンとランランが東京の上野動物園に到着した。この時は中国政府からの無償譲渡だったので「贈られた」といって間違いではない。そんな「日中友好の証し」「中国からのプレゼント」に、当時の日本人のほとんどが陶酔していた。

▼小欄の筆者も記憶している。パンダ目当てに上野動物園へ殺到する来園者の勢いは、すさまじいものだった。その点、48年前の日本人は、おそらく今とは大分違う。行列に並ぶにしても、ほとんど中国人のそれにちかい野性味があったものだ。さながら猛牛の群れのように押し合った挙句、外待ちの2時間に対して、わずか1分ほどでパンダ舎の前を流れていった。お父さんに肩車された子どもは、必ず泣き出していた。

▼思い出したので、脱線して書く。日本人が殺気立たずに長時間の行列に耐えられるようになったのは、筆者の印象ではあるが、1983年開園の東京ディズニーランド以降ではなかったか。1970年の大阪万博のときは、まだ「中国人」と大差なかったように記憶する。東京ディズニーランドは、さすがに夢の国だけあって、観客を誘導するスタッフの訓練度が高かった。

▼1981年に中国がワシントン条約に加盟してからは、パンダの国際取引ができなくなったため、無償譲渡はなくなり、全て貸与となった。

▼譲渡であれ貸与であれ、中国にとって外国へ出すパンダは全て「政治」である。そのことは、私たち日本人も知っておきたい。

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