【紀元曙光】2020年8月1日

閣下の尊称をおつけしたいが、故人の人柄がそれを遠慮すると思うので、敬意と親しみを込めて李登輝さんと呼ばせていただく。
▼中華民國第4代総統・李登輝氏が7月30日、死去した。97歳。20世紀に出た国家元首のなかで、その高潔な人格から「哲人政治家」と呼ばれ、万民の尊敬を集めたのは、この人物をおいて他にはない。
司馬遼太郎『街道をゆく 台湾紀行』のなかでも「李登輝さん」である。偉人の訃報に接し、日本の他のメディアも李登輝氏の業績を多く載せているだろうから、小欄では割愛させていただく。ともかく、本省人(台湾出身者)として最初の総統になった人である。
▼それ以前は、大陸から台湾に渡ってきた外省人が、人口の十数パーセントでありながら社会の支配階級であった。身分の上下差が当然のように存在し、全ての重職を外省人が占めていた台湾を、「法治に基づく、差別のない、普通の社会」に変えた。李登輝さんの第一の功績であるが、それは利権が固定化した旧態を改革するという意味で、至難の事業だったはずだ。
▼司馬遼太郎さんも、その点に関心をもった。「李登輝さんは、それらをどう説得したのだろう。このひとには掛け引き屋の要素はなさそうである。あるのは、あふるるような情と知性だが、おそらく国家への愛と相手の立場への同情というものをもって、説きに説いたかとおもわれる」。
▼2004年11月18日、大紀元は連載社説『九評共産党』を発表。単行本として上梓されたとき、李登輝さんは『九評』を手に取り、「これは非常に重要な書籍だ」と推奨した。(次稿へ続く)