【大紀元日本10月14日】寛永寺に行く最寄の駅はJR鶯谷駅が最も近いが、私は通い慣れたJR上野駅公園口から行くことにした。目の前は東京文化会館で、その建物を見ながら右に進む。次々に現われる建物は、国立西洋美術館、国立科学博物館、日本学士院である。これらの建物を左手に見ながら道なりに進むと、右手に柵に囲まれた徳川家綱霊廟勅額門(重文)が見えてきた。四代家綱は1680年(延宝8)に39歳の若さで亡くなっている。法名は厳有院。勅額門は四脚門、切妻造り、前後軒唐破風付き、銅瓦葺の豪華壮麗な作りで、非常に目を引く建築物だった(図1)。
しばらく行くと、大木に囲まれた寛永寺の正門前(図2)に着いた。寛永寺根本中堂(図3、4)は1698年(元禄11)に建立されたが、1868年(慶応4)彰義隊の戦争で焼失し、現在の根本中堂は再建されたもの。門を入った右手に鐘楼(図5)があり、家綱の1周忌(延宝9)に巌有院殿廟前の鐘楼に奉献された鐘が吊るされていた。また、塀際にはさまざまな表情の六地蔵(図6)が柔らかな日の光の中にひっそりと並んでいた。
帰路は中堂裏(図7)から言問い通りに出て、谷中霊園を通り抜けてJR日暮里駅から乗車した。
東叡山寛永寺 東京都台東区上野桜木町一丁目14番11号
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