【大紀元日本12月19日】
日本語に、「杞憂(きゆう)に終わる」という言い方があります。「水が変わって、持病がぶり返さなければいいが、なんて心配していたけど、それも杞憂に終わった」といった具合です。取り越し苦労に終わってよかったということです。
「杞憂」とは、「杞人憂天」(杞の国の人が、天が落ちてくるのを憂えた)という中国のことわざから生まれたことばです。
昔、杞の国に、とてもとても心配症の人がいました。来る日も来る日も、「天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどこへ逃げたらいいだろう」と心配し、夜も眠れず、ご飯も喉を通りませんでした。
心配になった友だちが諭しにやってきました。
「天は大気で満たされているから、落ちてくるなんてことはないよ」
「でも、太陽や月や星は重いから、落ちてきたりしないかな?」
「太陽や月や星は、空で光っているだけだから落ちたりしないよ。たとえ落ちたとしても、怪我なんかしないさ」
「じゃあ、地面が崩れたらどうしよう?」
「地面は四方の果てまで広がっていて、土がぎっしり詰まっているだろう。君も毎日その上を歩いているじゃないか。崩れるなんて心配はいらないよ」
杞の国の人は、それを聞いてやっとほっとしました。
(『列子』天瑞第一より)
ところで、『環境問題の杞憂』(藤倉良著、新潮新書)という本があります。今はややもするとすぐ、「環境」が話題になりますが、実は、驚くべき誤解や非科学的な「常識」に社会全体が振り回されて、ストレスを溜めたり、不要な出費を強いられたりしているが、現在の日本の環境は非常にいいのでそんなに心配しなくていいよ、というのが本書の主張です。「環境問題の杞憂」とは、うまいネーミングですね。
(瀬戸)
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