≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(59)「災難がついに到来」

災難がついに到来

 秋になると、養母は人に手紙を託して、私に一度帰るように促しました。我が家が新しい村に移ってから、私は一度もまだ帰っていませんでした。

 村の入り口から、村の南側に大きな家屋が二棟あるのが見えました。その棟からあまり離れていないところで、誰かが畑仕事をしていました。私はそれが養父だと分かったので、「お父さん」と呼びました。養父は私の声を聞くと、顔を上げて私を見ました。私は喜んで養父の元へ走っていきました。

 しかし、奇妙なことに、養父は私を見てもいつもの喜んだ様子もなく、かえって眉をひそめ、「もう二度と帰ってきたりしたらだめだよ」と言いました。そして、私を追い返すように、「急いで沙蘭鎮に帰りなさい。まだ日が暮れていないうちに」と言いました。

 私は父のいつもと違う反応にすぐ、何かあったんだと緊張しました。ただ、養父の人柄を深く信じていたので、養父の言うとおり、急いで沙蘭鎮に帰ることにしました。今ならまだ間に合います。

 しかし、空には暗雲が垂れ込め、今にも嵐がやってきそうな様子でした。私は足を止め、心の中で思いました。日が暮れてしまい、激しい雨も降ってきたら、歩きにくい。私が決しかねている間に、雨が降り始めました。

 養父は、「まずは家に入れ」と言いました。私は養父の後について急いで戻りました。ちょうどこの村の南側の二棟が正に趙家の家で、趙家は西の棟に住み、我が家は東の棟に住んでいました。

 家は大きく、西の間は南北にオンドルが通り、東の間は門が閉まっていました。我が家は西の間の南北のオンドルを使っていました。

 私が家に入ると、弟の煥国が私の手を取り奥の部屋へと案内し、「お姉さん」と呼んでくれました。彼はまた背が伸び、物分りも良くなっていました。

 間もなく、外は豪雨になり、大風も吹き始めました。そしてそのうち日が暮れてしまいました。養父は部屋に入ると、何も言わず、ただオンドルの上に座ってタバコを吸っていました。私は養母を手伝って夕飯の支度をしました。

 食事を終えると、養母は私を外の間に呼びつけ、「おまえはいずれ趙家の嫁になるんだから、今日からは東の間で寝なさい」と言いました。そして、そう言うなり、東の間のドアを開けて、私をそこへ引っ張り込みました。

 部屋は明かりがついておらず、真っ暗で、誰もいないのかと思っていました。(当時の農村にはまだ電灯がなく、暗いときはランプをつけました)ただ、外の間の明かりが差し込んで、オンドルの上に誰か横たわっているのが見え、私は飛び上がらんばかりに驚きました。

 養母があんなに大きな音をたててドアを開けたのに、この人は何も反応せず、ただ長々と体を横たえ、まるで死人のようでした。養母はオンドルの上の人を指差し、「この人は趙玉恒さんだ。おまえはそのうちこの人のお嫁さんになるんだから、今日からここで寝なさい」と言うのです。

 私は養母の指図を聞いて、驚きで何も反駁できませんでした。私はこの段になってやっと、この人がどうしてそこに横になったまま全く動こうとしないのかが、分かりました。彼と養母の間ではすでにちゃんと話がついていたのです。私はこれでやっと、私が帰ってきたとき養父がなぜ眉をひそめ、二度と帰ってくるなと言ったのかが分かりました。

 (続く)