【中国のことわざ】天衣無縫
【大紀元日本8月16日】【天衣無縫 Tiān yī wú fèng】天衣無縫(てんいむほう)。(天人の衣服には人工の縫い目などがない意から)詩歌などがいかにも自然で完美であるさまの形容。また、人柄が天真爛漫で飾り気がなく純粋である様子。現在は一般的に、世間体を顧慮しないで伸び伸びと振る舞う人のことを言う場合に使うことが多い。
郭翰は太原の人で文学や書に優れ、教養豊かな超俗の青年だった。彼はある夏の夜、余りの暑さに庭に出て涼んでいた。すると、突然空がキラキラと金色に輝き、満身光に包まれた仙女が静々と舞い下りてきた。郭翰はビックリして慌てて手を合わせひれ伏した。仙女は天上の織女で、地上へ絹糸を捜しに来たのだった。郭翰は織女の着ている美しい衣装を子細に見てみたが、糸で縫った形跡が全く見当たらないので不思議に思った。そこで、郭翰は「その衣装はどのようにして切ったり縫ったりしているのか?」と聞いてみた。織女は「これは天衣で、元々針や糸を使って縫うものではないのです。天衣は無縫なのです」と言って飄然と天に昇っていった。
今日の中国には完全な情報の自由な流通はない。例えば、インターネット上ではさまざまな法律や管理規則によって検閲が行われている。具体的には天安門事件・言論の自由・民主化・法輪功修練者への弾圧等に関連する記事を主な対象として、約60のインターネット上の規制がかけられている。そして、この検閲システムは国内の各地方のプロバイダー・会社・組織に幅広く実行されている。
このような情報統制の下、中国の人々は中国政府から拘束されることを懸念し、自分が本当に伝えたいことを伝えることができず、また、知りたいことを知ることができないでいる。天衣無縫という言葉のように世間の風潮や法律による規制を受けることなく、人々が伸び伸びと自由に情報を発信・受信し、自己を表現できる機会が増えることを願ってやまない。
出典:五代・牛嶠《霊怪録・郭翰》