【中国のことわざ】意気消沈

【大紀元日本1月7日】【意氣消沈 Yì qì xiāo chén】意気消沈。元気がなく、しょげる様子。

六朝の晋の大司馬※桓温が晩年の時に、突然一人の尼僧が遠方から来て、桓温に旦那となってもらい、屋敷に逗留した。この尼僧は学才も挙動も常人とは違っていたので、桓温は鄭重にあつかい、屋敷内に住まわせた。

ところが尼僧は、入浴の時にはいつもきまって長い時間をかける。桓温が不審に思って、覗いてみると、尼僧は裸になって刀を持ち、腹を裂いてはらわたを取り出し、首を切り落として手足をこまかくきざんでいた。桓温はあっと驚いて引き返したが、部屋に帰ったころ、尼僧は浴室から出て来た。姿はもとのとおりになっていた。

桓温が正直に見たままを話すと、尼僧は答えた。

「お上(かみ)に取って代わろうなどとする者は、きっとあんな姿になってしまいますよ」。

ちょうどこの時、桓温は帝位を奪おうとたくらんでいたところだったので、尼僧の言葉を聞いて意気消沈した。この為に行動をつつしみ、臣下の本分を最後まで守り通したのであった。

「意気消沈」は、今、自分の思うように上手く行かないとか、または何か失敗すると、すぐ意気込みがくじけることを形容する。

出典:六朝・陶潜『捜神後記』

※大司馬:本来は軍政の最高責任者であったが、六朝では、宰相に相当する地位となった。

(編集・縁修)