【大紀元日本12月27日】白鹿洞(びゃくろくどう)書院掲示は、朱子の教えを初学者のために、分かりやすく要約したものである。書院掲示の最初に掲げられた5教「父子に親(しん)あり。君臣に義(ぎ)あり。夫婦に別(べつ)あり。長幼に序(じょ)あり。朋友に信(しん)あり」の徳目「親・義・別・序・信」の意味するところを見ていこう。
「親」は、親しみ敬って両親を愛すること。「義」は、君が仁義をもって臣を導き、臣は忠義を尽くしてこれに従うこと。仁義と忠義の心的交感を教える。「別」は、家庭における夫婦の役割に分担・区別があり、それによって秩序がもたらされること。「序」は、兄弟(長幼)の誕生の後先の自然な序列を尊重すること。年長者は幼い者を慈しみ、若者は年老いた人を敬う。「信」は、信頼を基に友人関係を築くこと。
書院掲示は次に「親・義・別・序・信」の5教の徳目を学ぶのにも、5つの序があることを教える。「博(ひろ)くこれを学び、審(つまび)らかにこれを問い、慎(つつし)んでこれを思い、明(あき)らかにこれを弁じ、篤(あつ)くこれを行う」。学び、問い、思い、弁じ、行う、5つの序を踏むことによって、5教の徳を修養する。
朱子は聖人の知を致(きわめ)ようとした教育家であった。儒学上重要な「格物致知(かくぶつちち)」の教えを独特な解釈で継承した。ここで言う「物」は、朱子においては「事」のことでもある。<物=事>の究極に格(いた)る理は、自己・家庭・社会・国家・宇宙を貫徹する天の理でもある。天の理を窮めるには、まず手始めに具体的な事物に即して理を窮める(窮理)ことが、スタートラインとされた。
今日で言う物理の知を身に付けることだった。まず身辺にある1本の鉛筆が、どこから来たかを問うことから、聖人への道を始める事を指摘したと言える。近きより遠くへ・・・。物理から人理へ向かい、天理を窮めるという朱子の指南は、宋代の時代思潮において画期的だった。時代は朱子学を飲み込んでゆく。そしてやがて日本の江戸時代を席巻してゆく。
朱子学では格物致知と合わせて「居敬(きょけい)と静坐」が、聖人へと橋渡しする自己修養の3セットの眼目とされた。居敬は、日常生活で静かに動じず一つのことに集中し、平常心を保っている心的態度のこと。居敬窮理とも言われ、事物の理を窮めるには普段に、居敬を維持することが肝要とされた。このことから「持敬」のために、静坐が修養法として要請された。その際、禅的座禅は我を忘れるものとして退けられた。しっかりと「敬」を持する修養法として、静坐が活用された。
朱子学は、一人ひとりが修養によって物理から天の理に通じ、人間の本然の性(善)に返り、聖人の道を歩む社会を実現しようと望んだ。そして朱子は、一人ひとりが徳性の敷かれる天下国家の理を、誰もが論じることの出来る理論的な根拠(体系)を、初めて万人に提供したと言える。これが朱子の手柄であり、真骨頂であった。白鹿洞書院掲示の教えには、朱子が創始した万人への新儒学(宋学)が、中華思想を再興させる気概をもって、簡潔に凝縮されている。
(つづく)
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