1945年9月に撮影された、広島への原爆投下で被爆した広島県産業奨励館の残骸。後に記念碑として保存された。 AFP/Getty Images

1945年8月の原爆投下は「悪魔的」だったのか?

論評

毎年8月になると、81年前に日本の広島(1945年8月6日)と長崎(同年8月9日)へ投下された2発の米国製原子爆弾について、その判断の是非と道徳性をめぐる議論が再燃する。今年8月も例外ではない。

これまでと同様、多くの批判者が原爆投下をめぐって米国を非難している。広島と長崎の双方で、軍事・産業の両方に利用されていた施設を標的とした2度の凄惨な爆発により、軍人と民間人を合わせて約10万~12万人が直ちに死亡した可能性がある。

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