2019年2月12日、キューバ・ハバナ。デモ活動の中、父親の肩車に乗ってキューバの国旗を掲げる少女(Shutterstock)
「地盤が抜かれた後で」シリーズ 第一篇

革命に貧困は必要ない キューバとベネズエラから読み解く急進的変革の真の土壌 

1958年のハバナは、ネオンが街を彩り、カジノは夜通し賑わい、アメリカからの観光客が海辺のバーでモヒートを愉しんでいた。当時のキューバの一人当たり所得はラテンアメリカ全域でも上位に位置し、首都の中産階級は自家用車や家電を備え、将来への確かな希望を抱いていた。 

しかしそのわずか一年後、カストロがハバナへと入城した。 この事実は、今なお多くの人々を困惑させている。もし急進的な変革が「貧困」の産物であるならば、なぜ当時のキューバで革命が起きたのか。もし中産階級が社会を安定させる重石(おもし)となるのであれば、なぜ彼らはこの変局を押しとどめることができなかったのか。 こうした困惑の根底には、一つの誤った前提がある。私たちは「急進的な政治は、最も貧しい土壌に育つ」と思い込んでいるが、実際には全く別の土壌で育つのである。

革命前のキューバが示した経済統計は、紛れもない事実である。1950年代、識字率や医療水準、そして工業化の進展において、キューバはラテンアメリカの先頭集団に位置していた。しかし、それらの数字はあくまで「平均値」であり、一つの大きな断絶を覆い隠していた。 ハバナの繁栄が本物であった一方で、農村部におけるサトウキビ労働者の困窮もまた、過酷な現実であった。そこには季節雇用、少数の地主や米国資本による土地の独占、そして乾季になれば村全体が失業するという状況があった。この「二つの世界」は同じ島に共存しながら、互いに交わることはほとんどなかった。 この格差そのものは、キューバ固有の現象ではなく、不平等の標準的な形態といえる。しかし、富の存在は貧困の救済にはならない。それはただ、貧しさを残酷なまでに浮き彫りにするだけだ。何も持たない者は、自らの欠乏にさえ無自覚でいられる。だが、他者の富を目にした者は、自分に何が欠けているかを嫌というほど認識させられるからである。

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