「運命はあなたを崖っぷちに追い込むかもしれない。しかし、再び立ち上がり、堂々と立つかどうかを決めるのは自分自身です」
これは台湾出身のがんサバイバー、凃景為さんがエポックタイムズのインタビューで10年にわたる胃がんとの闘いを振り返って語った、苦難のなかで得た言葉です。
凃さんは長年テクノロジー企業で働きながら慢性的な胃の痛みに耐えていました。症状が悪化しても休暇を取らず、看護師である妻を職場に呼んで痛み止めの注射を打ってもらっていました。
すべてを変えた診断
2015年、これまでにないほど激しい発作が彼を襲いました。異変を感じ取った妻はすぐに胃カメラ検査を手配しました。診断は深刻でした――胃がんでした。
わずか39歳で凃さんは胃をすべて摘出する全摘手術を受けることになりました。

最初の食事――2時間に及ぶ苦しみ
胃を失ったことで空腹感も満腹感も完全に感じられなくなりました。入院中の9日間、彼は点滴だけで生き延びました。
退院前、腫瘍専門医はこう告げました。「胃がない以上、食べ方を一から学び直さなければなりません。粘り強く続けてください――あなたならできると信じています」
「食べることを学び直す」という概念は当初彼を戸惑わせました。そして迎えた自宅での最初の食事。妻は薄いおかゆを用意しましたが、彼は習慣でつい素早く2口食べてしまいました。そのおかゆは食道と小腸をつなぐ手術部位に詰まり、激しい痛みを引き起こしました。まるで窒息するかのようで、飲み込むことも吐き出すこともできませんでした。冷や汗が噴き出し、めまいに襲われ、その苦しみは2時間以上続きました。
後に彼は、この症状が「ダンピング症候群(胃摘出後に食べ物が急速に小腸へ流れ込み不調を引き起こす状態)」と呼ばれるものであることを知りました。これは胃全摘患者にとって最初の大きな試練です。それ以降、水を飲むときでさえ3回に分けて少しずつ飲まなければならず、そうしないと詰まったり逆流したりしました。
最も暗い日々
「退院したその日、もう生きたくないと思いました」と凃さんは語ります。「この状態に耐え続ける自分が想像できませんでした。化学療法はキャリアを奪い、食事のたびに激しい苦痛を味わう。人生は一瞬で暗闇に突き落とされました」
どん底のなかで彼を引き戻したのは妻でした。まだ幼い子どもたちへの責任を思い出させ、生きる意味を与えたのです。
凃さんは自分にひとつの約束を課しました。「少なくともあと10年は生きよう。子どもたちが成長するのを見るために」
1か月の休職後、彼は職場に復帰しましたが昼食はほとんど取れず、食べてもほんの少しでした。月に2回の化学療法を受けましたが、重度の栄養失調のため4か月後には1か月間の休養を余儀なくされました。体は次第に衰弱し、診断から2年後には急激な体重減少・低血糖・筋肉減少・貧血を特徴とするがん悪液質(がんによる全身衰弱状態)を発症しました。
「当時、あと10年生きるという約束は楽観的すぎたと気づきました。あと2年もすれば、すべてを終わらせる覚悟ができているだろうと思いました」
すべてが変わった瞬間
転機は2018年初めに訪れました。妻の勧めで会社のタイ旅行に参加した彼は、わずか15分歩いただけで疲れ果て座り込んでしまいました。妻に抱きつき、2人で涙を流しました。
「こうして一緒に歩けるだけでいいの。疲れたら座って休めばいい、それも素敵なことよ」と妻は言いました。
その無条件の愛は彼の深い罪悪感を溶かし、再び立ち上がろうとする強い決意を呼び起こしました。「自分が死ねば家族は楽になると思っていました。でも、もし死ななかったら? さらに2年生き続けたら? その間、家族はどれほど苦しむのかと考えたのです」
「台湾に戻ったら運動を始めよう。体をもう一度目覚めさせるんだ」と彼は決意しました。
太極拳による再生
体力の低下を考慮し、彼は太極拳という穏やかな運動を選び、ウォームアップやストレッチも取り入れました。動きはゆっくりですが当初は30分も続けることができませんでした。練習後は全身が痛み、マッサージが必要でした。それでも努力を重ねるうちに体力と食欲は徐々に回復していきました。
多くの研究により、がん後のリハビリにおいて運動が有効であることが確認されており、心肺機能・可動性・生活の質・睡眠・精神状態の持続的な改善が示されています。
運動を始めて2年後、彼は妻とベトナム旅行に出かけ、初めてツアーのペースについていくことができました。「本当に爽快でした」と凃さんは満面の笑みで語りました。

失業が贈り物に変わったとき
体力が回復し始めた矢先、凃さんは解雇されました。社会的な居場所を失ったように感じ、深い悲しみに沈みました。約1か月後、運動仲間に誘われて胃がんの高齢患者を見舞いました。その男性の目に映る絶望を見たとき、2年前の自分と同じ無力感に気づいたのです。
この出来事は、彼の失業に対する見方を変えました。
「仕事がないだけじゃないか。それが何だというんだ」
健康を失う苦しみに比べれば、仕事を失うことなど取るに足りません。健康を失えば、すべての願いはただひとつ――回復へと収束します。凃さんは失業を贈り物と捉え、休息と回復の機会に変えました。
その期間、生活はシンプルで規律あるものになりました。毎日運動し、疲れたら休み、時間が来たら少量を食べ、ダンピング症候群が起きたら横になって眠る――そのくり返しでした。
そして2019年9月の誕生日、妻に「何を食べたい?」と聞かれた凃さんは思わず「ステーキが食べたい」と答えました。その言葉に2人とも驚きました。食べることへの恐怖が消えていたのです。活動量の増加に伴いエネルギーを求める体が回復のサインを発していたのです。
それ以降、凃さんはさまざまな食べ物に挑戦し始めました。不快感が残ることはあっても、ダンピング症候群から解放されつつあることを実感していました。
使命との出会い
凃さんは訓練を続け、やがて伝統的な太極拳の師匠と出会いました。師匠は彼自身の回復だけでなく、他者に運動を広め希望と健康を届けるよう励ましました。凃さんは深く考え、人生の新たな意味と目的を見出しました。
2021年、凃さんは台湾のフォルモサカップ太極拳選手権に出場し優勝しました。「目標はただひとつ、低血糖を起こさずにステージに立つことでした。トロフィーも拍手もいりません。ただ生きていたかったのです」
優勝は凃さんに自信を取り戻させました。「初めて普通の健康な人に戻れた気がしました。むしろ平均より強いかもしれないとさえ感じました。自分の価値を証明できたのです」
2022年には台湾がん基金(台湾のがん支援団体)の「年間がん戦士トップ10」に選ばれました。
凃さんは自身の経験からがん患者にこう語りかけます。「なぜあなたはがんになった瞬間に死ななかったのか。それは天に目的があるからです。信じる心があるなら、それは神からの試練であり、その経験は誰かの心を動かすためにあるのです」
孔子の言葉「五十にして天命を知る」を引用し、50歳を目前にした凃さんは自分に与えられた使命――人々の健康回復を助けること――を見つけたと感じています。
「これからの人生は運動を広めることに捧げたい。自分をもっと大切にできると、周りの人に知ってほしいのです」
2015年の診断から10年が経ちました。「がんの後、3年は絶望のなかにあり、次の3年で自分を立て直し、最後の4年で人生に新たな意味を与えました」
がんは死の宣告ではない
凃さんはすべてのがん患者に伝えたいといいます。「現代の医療の進歩により、がんはもはや不治の病ではありません。本当の危機は、自信と希望を失うことです」
近年、胃がん治療は急速に進歩しています。ニューヨークのメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターの消化器腫瘍部門責任者、イェレナ・Y・ジャンジジアン教授は、バイオマーカー検査(腫瘍の特徴を調べる検査)により個別化治療が可能になり、手術を回避できる患者もいると述べています。
また、40〜50代の若年層で胃がんの発症が増加しており、貧血・胃酸逆流・原因不明の腹部不快感など軽微な症状でも早期受診と内視鏡検査が重要であると指摘しています。早期発見は治癒率を大きく高めます。
新北市立病院の消化器内科医、陳宏允医師は、胃がんはヘリコバクター・ピロリ(胃に感染する細菌)や、塩分の多い食事・漬物・燻製食品・熱すぎる飲食物などによる胃粘膜の慢性的な損傷と密接に関連していると述べています。
さらに、運動習慣を身につけることが有効な予防策であるとし、学術誌『Journal of Sport and Health Science』に掲載されたメタ分析では、中〜高強度の身体活動が消化器系がんのリスクを有意に低下させることが示されています。
運命を形づくる選択
「運命があなたを崖っぷちに追い込んでも、立ち上がるかどうかは自分で選べます」と凃さんは語ります。
診断から10年後、凃さんは単なるがんサバイバーではなく、回復が医療だけでなく忍耐・運動・愛・そして再び生きることを選ぶ勇気によって成り立つことを示す、生きた証となっています。一歩一歩、ひと呼吸ごとに、そしてひとつひとつの穏やかな太極拳の動きとともに。
(翻訳編集 井田千景)
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