そもそも「成人」って何だろう? 成人の日に見直してみる大人と子どもの境界線
いま、「成人」という言葉は、主に「年齢」を表すものとして使われています。「何歳からが大人か」という数字の話はよく耳にしますが、その言葉が本来どんな意味を込めて使われてきたのかを考える機会は、あまり多くありません。しかし、歴史をさかのぼれば、成人は決して年齢だけで区切られるものではありませんでした。
昔の社会において、誰を大人と認めるかは、非常に重みのある判断でした。何をもって「一人前」とするのかは、その土地の暮らしや、大切にされている教え。つまり民族的な信仰や宗教と深く結びついていたからです。
日本における神道や仏教、欧米諸国のキリスト教、アラブ諸国のイスラム教、それぞれの文化において「人は何を大切に生きるべきか」という答えが、そのまま「大人とはどうあるべきか」という考え方の芯となっていました。
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