アメリカ合衆国建国の父、ベンジャミン・フランクリンは若い頃、他者との討論を楽しみ、その技術に磨きをかけ、勝利を非常に誇りに思っていました。技術的に間違っていても、修辞的には常に正しかったのです。成熟するにつれて、その勝利は疎外や敵意の代償を伴うことに気づきました。
フランクリンは自伝の中で、自身の傲慢な気まぐれを振り返り、「この悪癖や愚行を治そうと決意しました」と書きました。彼の突破口は、「イエスおよびソクラテスに見習うべし」というシンプルな格言に従うことでした。
フランクリンはイエスとソクラテスの謙虚さを体現しようと努力しました。「私にはそう思える」というフレーズで言葉を柔らかくすることで、敵だった対話者を友人に変えました。彼の態度の変化は、歴史が称える外交の天才を生み出しました。
しかし、謙虚さの静かな力は外交だけにとどまりません。新たなデータは、謙虚に生きることが自分自身と他者に大きな利益をもたらし、卓越した成功につながることを示しています。
不確実性を受け入れる
謙虚さは、能力と知識の両方における自分の限界を正直に認めることから始まります。自分自身を実際よりも良く見せたり、わざとらしく卑下したりせず、正確な自己認識を伴います。
私たちのほとんどは、この基本的な自己評価に失敗します。
参加者に質問を与え、後にパフォーマンスを評価するよう求めた研究では、あまり自信のない控えめな人々でさえ、自分を大幅に過大評価する傾向があります。実際のスコアが35%程度であるにもかかわらず、70%の正確さを主張するかもしれません。
この過剰な自信は大胆な人や傲慢な人に限ったことではなく、人間の本性だと、デューク大学の心理学・神経科学教授で謙虚さを研究するマーク・リアリー(Mark Leary)氏は述べました。したがって、私たちはそれに適応し調整する必要があります。それは、ソクラテスのように「自分が何も知らないことを知っている」と認めることから始まります。心理学者は、この自分自身が間違いを犯す可能性の認識を「知的謙虚さ」と呼びます。
「知的謙虚さとは、信じているすべてのことが確実または本当ではないかもしれないと単純に認めることです」とリアリー氏はエポックタイムズに語り、この気づきは最初は痛みを伴うかもしれないが、学習、改善、成功の比類なき可能性への扉を開くと指摘しました。
『Learning and Individual Differences』誌に掲載された一連の研究では、管理された実験室環境で、知的で謙虚な人々は挑戦を受け入れ、失敗に直面しても頑張り続ける可能性が高いことがわかりました。
研究者はその後、調査対象を現実世界へと移しました。高校生の知的謙虚さを測定し、数学のテストスコアに対する反応を観察しました。知的謙虚さが高い生徒は、根性と成長マインドを示し、「次のテストでは、よく理解出来ていないことを特定しよう」といった姿勢を見せました。
対照的に、知的謙虚さに欠ける生徒は無力感に屈し、「勉強をあきらめる」や「カンニングを試みる」といった項目に同意する傾向がありました。
この違いを生み出すものは何でしょうか? 研究者らは好奇心を重要な要因として指摘します。既存の証拠に基づき、知的で謙虚な人々は学習そのものを本当の意味で楽しみ、仮定を再確認し、アドバイスに耳を傾け、不確実性を受け入れることでより多くを学びます。
ペパーダイン大学の心理学教授で謙虚さを研究しているエリザベス・クルムレイ・マンクーゾ(Elizabeth Krumrei-Mancuso)氏は、自身の研究で同様の発見をしました。「知的謙虚さはIQや人の賢さに直接関連していませんが、どれだけの知識を持っているかに関連しています」と彼女はエポックタイムズに語りました。
マンクーゾ氏は、このシンプルなメカニズムを次のように説明しています。「自分自身と他人に対して、自分が知らないことを認めることができれば、新しい情報を吸収し、取り入れる可能性も高まります」
「わからない」と率直に言える教師は、教室全体にも利益をもたらします。2024年の研究では、教師が知識のギャップを率直に認め、間違いを認め、生徒の視点から学ぶと、生徒はより受け入れられていると感じ、授業討論に積極的に参加する可能性が高いことがわかりました。雰囲気の変化は直接的に成績向上につながり、教師の謙虚さの標準偏差が1つ増加するごとに、成績が4%向上するという結果が出ました。
謙虚さがIQを上回る
学業成績における謙虚さの役割は、比較的明白です。では、職場での謙虚さはどうでしょうか?
伝統的に、専門家は成功の予測因子として、知的能力(パフォーマンスの上限を決定づける)、と誠実さ(労働倫理:人がどのように動機づけられるかを決定づける)という2つの主要な要素を挙げています。しかし、『Organization Science』誌に掲載された研究では、謙虚さを方程式に導入し、悪いパフォーマンス後にどれだけ迅速に修正行動を取るかを測定しました。
研究では、謙虚さが知的能力や誠実さよりも優れたパフォーマンスを予測することがわかりました。特筆すべきは、高い謙虚さが低い知的能力を補うことができることです。認知能力は低いものの謙虚さが高い人は、知的能力が高く謙虚さが低い人に匹敵するか、場合によってはそれ以上のパフォーマンススコアを達成しました。

研究者らは、謙虚さの「補償効果」は、間違いから学び成長しようとするオープンな意欲に起因する可能性があると述べています。
リーダーシップのポジションにいる人はどうでしょうか? 自信に満ち、ビジョンドリブン[1]なリーダーはしばしば称賛されます。確実性を投影することが期待される役割で、謙虚さは不利ではないでしょうか?
結局のところ、最も効果的なリーダーは驚くべきパラドックスを体現しています。
[1]ビジョンドリブンとは、会社のビジョンの実現を最優先事項として、経営戦略・企業活動の意思決定をおこなうこと。
目立たないリーダーたち
研究者でありビジネスコンサルタントでもあるジム・コリンズ(Jim Collins)氏と彼のチームは、約1500社もの企業を調査し、なぜ平均的な企業から並外れた企業へと飛躍できるのはほんの一握りなのかを説明するパターンを探りました。コリンズはベストセラー著書『Good to Great』にその発見を書きました。
数十年にわたるデータを精査した結果、チームは基準を満たす企業をわずか11社しか見つけられませんでした。これらの企業はスタートアップ企業でも、幸運に恵まれた巨大IT企業でもありません。ウォルグリーン、キンバリー・クラーク、ニューコアといった企業で、コカ・コーラ、インテル、ゼネラル・エレクトリックといった大手をひっそりと凌駕していました。
チームは視線を上に向け、これらの企業のリーダーを分析しました。
これらの「偉大な」企業のすべてには、並外れた謙虚さと断固たるプロとしての意志という、稀有で矛盾した組み合わせを持つリーダーがいました。
コリンズは彼らをレベル5のリーダーと呼びました。
レベル5のリーダーは極めて稀有なタイプです。他のマネージャーと同様に、目標達成に向けて人材とリソースをうまくまとめ上げる力があります。唯一の違いは、スポットライトを浴びることを避け、功績を他人に譲る、つまり謙虚な姿勢です。
自分自身について話すよう求められると、彼らはこう答えました。「私の手柄なんて大したことはありません。優れた仲間に恵まれただけです」
物事がうまくいかなかったとき、彼らは全責任を負いました。物事がうまくいったときは、彼らは自分の手柄とせず、周囲のおかげだと示しました。
驚くべき成果をもたらした要因は何でしょうか?
リアリー氏は、謙虚なリーダーはより多くのアイデアを貢献するよう他者を動機づけ、行動を取る前に多くの視点と証拠を集め、長期的にはより良い決断を下せるようになると説明しました。
謙虚さを示す人は、誠実さと利己的な動機の欠如を示唆するため、人々はより信頼しやすくなります。わずか30分の会話でも、謙虚な人を見分けることができ 、そのような人はより好意的に見られます。
同僚の謙虚さと能力を比較した組織研究では、「謙虚な愚か者」(謙虚さは高いがスキルが低い人)は、「有能な嫌な奴」(謙虚さが低いがスキルが高い人)よりも好感度が高いと評価されました。
選択肢を与えられた場合、参加者は一貫して、スキルは高いが傲慢な同僚と一緒に働くよりも、経験は浅いが謙虚な同僚と一緒に働くことを好みました。
対照的に、コリンズ氏が調査した数百の企業のうち「失敗」とされた多くは、高い注目を浴びる派手なセレブ型の CEO (自分の遺産を築いたが、会社の未来を必ずしも築かなかったリーダー)を持っていました。
「最も強力なリーダーは、しばしば最も無力に見えるというのは、大きな皮肉だ」とコリンズは書いています。「彼らは人生を超越した存在ではありません。むしろ、目立たず見落とされがちなのです」
スポットライトの裏側
おそらく、謙虚さの真のテストは、取締役会や教室ではなく、株主の監視もなく、企業の遺産が危うくなることもない、最も親密な集団の中にあるのかもしれません。謙虚さは、こうした日常の瞬間にこそ、心から芽生えるはずです。
リアリー氏にとって、謙虚さを学ぶきっかけは、当時12歳と8歳の息子たちと過ごしたごく普通の夜でした。寝る時間なのに、子どもたちはテレビを消したがらない――親なら誰もが経験するあの攻防です。
「多くの親が持つ『子育てモード』に自分も入っていました。彼らが反対すると、『テレビを消せと言ったでしょ』と押し切ります」とリアリー氏は語ります。
息子たちは時々、番組があと5分で終わるから見終えられると指摘し、リアリー氏は自分の主張が本当に必要かどうか疑問に思い始めました。
そこで、彼はアプローチを変えました。
「私は彼らを座らせて言いました、『これから、私が間違ったことを言っていると思ったら、1回だけ反対するチャンスをあげる。なぜそれをしなくていいと思うか教えて。私は聞くよ。まだダメと言うかもしれないけど、考えを変えるかもしれない』」
驚くことに、彼は約20%の確率で考えを変えました。
リアリー氏のアプローチは家庭内の対立を減らし、子供たちに、責任を負っているからといって絶対に間違いを犯さないわけではないことを示しました。「時には自分が間違っていることを認めても大丈夫だと子供たちに示しました」とリアリー氏は述べました。
友情においても同様です。研究では、人々が謙虚な友人をより親しみやすく、信頼でき、単純に一緒にいて楽しいと感じる傾向が示されています。
謙虚さは、特にストレスの多い時期において、恋愛関係を豊かにします。『The Journal of Positive Psychology』誌に掲載された研究では、最初の子供の誕生後、配偶者が互いに謙虚さを示したカップルは、他のカップルに比べてうつ病スコアが64%低かったことがわかりました。また、家事、お金、義理の両親などについて意見の相違が続いているカップルに話し合ってもらったところ、お互いに謙虚なカップルは血圧が18%低いことが分かりました。
謙虚な人は、反対の視点を理解しようと努力し、「相手の言うことを実際に聞く可能性が高い」とマンクーゾ氏は述べました。
一方、リアリー氏は「自分は常に正しいと確信している人と一緒に暮らすと、本当に多くの意見の相違が生まれます」と付け加えました。
リアリー氏の最新の研究では、知的謙虚さが低いことは、恋愛関係の満足度が低いことと関連していることが示されました。知的謙虚なカップルは、対立時にパートナーの知性を軽視する可能性が低く、意見が対立する相手は無能だと決めつけるというよくある落とし穴に陥るのを避けられます。
この文脈における謙虚さの緩衝作用は、「社会的潤滑油」と呼ばれています。潤滑油がエンジンのオーバーヒートを防ぐように、謙虚さは競争や対立によって引き起こされる摩耗を緩和すると考えられています。この社会的親しみやすさは、共感、利他主義、慈悲などの他の美徳との謙虚さのポジティブな関連性からも生まれる可能性があります。
いくらあっても多すぎない
「知的な謙虚さは、いくらあっても行き過ぎにはならない」とリアリー氏は助言しました。「非常に謙虚な人でさえ、本来よりも自分に確信を持ちすぎているからです」
自分が間違っているかもしれないと仮定することは、緩衝材になります。「人間として、あなたの履歴は非常にたくさんの間違を犯してきました」とリアリー氏は述べました。対立したとき、「私は本当に正しいのだろうか? 関連する情報はすべて持っているのだろうか? 私の情報は偏っていないだろうか?」と尋ねることを彼は勧めています。
感謝と自己反省の実践も謙虚さを育みます。より実践的な視点として、研究によると、第三者の視点から毎日の反省を書くことにより、自己中心的視点から脱却した成人は、わずか1か月で知的謙虚さが大きく成長したことが示されています。
マンクーゾ氏はこうまとめています。「自分が間違っている可能性に気づいていないなら、真実に近づくための扉を閉ざしていることになります」
「プライドは障壁であり、謙虚さが道です」
(翻訳編集 日比野真吾)
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