虚構が作る歴史『ベルサイユのばら』と歪められた日本人の革命イメージ
第3回:バスティーユ襲撃の真実――革命の血塗られた幕開けと歴史の再考
漫画『ベルサイユのばら』の映画版は、昨年(2024年)の秋に公開された。原作の漫画は池田理代子氏によって描かれたものであり、「少女漫画」あるいは「恋愛小説」と呼ばれるジャンルに属している。本記事はこの映画、そして原作漫画について論じる全5回シリーズの第3回目の記事である。
この映画は、フランス革命の要として描かれる1789年7月14日のクライマックスで終わる。しかしながら、ここでもまた作者は、いまや真摯な研究を行う歴史家の誰一人として支持しない、共和国の公式見解をなぞるものでしかない。この日が歴史上特別に重要でなかったことはよく知られており、むしろ革命軍による虐殺の始まりの日であったことで広く知られている。
さらにここで、映画は厚顔無恥にも事実を捻じ曲げる。王党派の将校およびバスティーユの兵士たちが発砲し、激しく抗戦して多くの血が流れたかのように描写するが、それは虚偽である。実際には、バスティーユの指揮官は発砲を拒否し、崩壊寸前の要塞の門を開放したのである。だが、その結果として彼は槍の穂先によって首を刎ねられることとなった。
関連記事
中共当局による突然の公演中止にもかかわらず、浜崎あゆみは無観客の上海会場でフルステージを完遂。毅然とした姿勢が中国内外で称賛を集め、政治的圧力を上回る“完勝”を果たした
三年もの間、民の課役をゆるし倹約を貫いた仁徳帝。民の竈の煙に安らぎを見いだしたその御心は、豊かさの本質を問い直す今の日本にも静かに響いている
浜崎あゆみの上海公演が中共の意向で急遽中止。しかし彼女は観客なしで本番同様のライブを完遂し、世界から称賛を集めた。中共は虚偽説明で一時しのぎのごまかしを図るも、浜崎の冷静な対応が評価を高めた
中国共産党軍は日本を恫喝するも、その実態は装備・組織面で脆弱。日中が衝突すれば、中国側の実力不足が露わとなり、宣伝とは逆に軍の限界が明確にされる状況にある
中共軍は軍事的示威を強める一方で、実戦能力や装備面での課題が多数露呈。日本の防衛態勢と比較し、その脆弱性が浮き彫りになっている