ある日、陳亢は孔子の息子の伯魚(はくぎょ)に「お父様からなにか特別な教えを受けていらっしゃるのでしょう?」とたずねてみました。

孔子の教え―陳亢と伯魚【世界むかしばなし】(11)

二千五百年ほど前の中国でのことです。偉大な哲学者で教育者でもあった孔子には、数えきれないほどたくさんの教え子がいました。教え子の多くは直接教えを受けるために、はるばる遠くから孔子の住む魯(ろ)の国にやって来ました。陳亢(ちんこう)もその中のひとりでした。

陳亢は陳の国の出身でした。まだ若く、孔子のもとに来て間もなかったので、孔子から直接教えを受けたことはありませんでした。

考えすぎる性格の陳亢は、自分が魯の国の出身ではないから孔子にかまってもらえないのだと思いました。孔子はどの教え子に対しても同じように接していたことでしょう。しかし陳亢は自分が大切にされていないと思い込んでしまったのです。

ある日、陳亢は孔子の息子の伯魚(はくぎょ)に「お父様からなにか特別な教えを受けていらっしゃるのでしょう?」とたずねてみました。

伯魚は少し考えてから言いました。「いいえ。ただ、二度ほどこんなことがありましたっけ。一度目のとき、父はひとりで立っていました。私が急いで中庭を通り抜けようとすると、『詩はもう学んだのかね』と父に聞かれたのです。私が『いえ、まだです』と答えると、『詩を学ばなければ人と話すことができないぞ』と言われたので、私は急いで詩を学びました」。

「二度目のとき、父はまた中庭にひとり立っていました。私がそばを通り過ぎようとすると『礼はもう学んだのかね』と聞かれ、『まだですが』と答えると『礼をよく知らなければ社会でひとり立ちできないぞ』と言われました。そこですぐに礼を学びました。私が父から直接なにかを教わったと言えば、この二つぐらいでしょうか」

これを聞いた陳亢は大喜びして言いました。「今日は本当に多くの収穫があったぞ。一つのことを聞いて、三つのことを知ることができた。まず、詩を学ばなければならないこと。次に、礼を学ばなければならないこと。そして、立派な方は息子であってもえこひいきしないということだ」

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