高智晟著『神とともに戦う』(73) 権利を護りぬいた軌跡「ヒューマニズムに勝るものなし」
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1999年7月20日から始まったのが、中国政府が法の枠外で行っている、「法輪功(ファルンゴン)」の同胞への赤裸々な迫害である。それから6年を迎えようとしていたとき、河北省の省都・石家荘市では、法輪功学習者の郝秋燕さんが地元政府に違法かつ野蛮に拘束されて半年余りがすでに過ぎていた。これは今まさに起きている真実である。
さらに郝さんの夫で、やはり法輪功学習者の黄偉さんも、地元政府によって違法に拘束されていた。黄偉さんに対する違法な拘束はこれで2度目であり、その違法拘束の期間は、1999年以来の6年のうち5年余りに及んでいた。これも全く変化の兆しすらない、確かに存在している真実なのである。
この若い夫婦はいずれも良い大学教育を受けており、彼らに対する周囲の評判は、ほとんど非の打ち所のないものだった。私は夫婦とそれぞれ個別に面会したが、彼らの所作に表れた落ち着きや修養ぶり、寛大さ、幸せな生活への信念は、私の記憶の中で今でもずっと脈打っている。私と対話していても、この社会に対する悪意などみじんも見られない。
夫・黄偉さんの言葉からは、あふれんばかりの家族への愛情が感じられ、私は感涙にむせんだ。「高い塀の外から聞こえてくる子供たちの遊び声を聞くたびに、じっと目を閉じて妻子とともに過ごした情景を思い浮かべています」と黄偉さんは静かに語ったが、自分の両親と妻の両親の話題になると、「これは自分ひとりが親孝行できないという問題だけではないのです」と言って、涙を流した。
この2つの家庭にとって、夫婦の収入だけが頼みの綱で、しかも双方の両親とも高齢で弱っている上、生活の保証がないという。また、中国政府が自分たち夫婦を拘束したことは、政府自身にとって何の価値があるのか永遠に理解できない、という。黄偉さん自身の言葉によれば、「長期的な拘束は、私たち個人及び家庭にとって、人生最大の災難でした。
政府にとってもなんら利益はありません。何よりも、これは中国の憲法及び法律の基本原則にそむいた拘束なのです」ということだ。双方の両親とも、夫婦の拘束で生活が困難を極めているが、黄偉さんにとって何よりも心が痛むのは、弱った体を押して、夫婦の数歳になる子供を育てなければならないことだった。
今日の中国大陸では、黄偉さん夫婦のように違法に長期間拘束されている法輪功学習者は10万人にも上る。
今年(2005年)の2月、私はある真実への理解に基づき、山東省の一部地域で調査を行った。それは1999年以来、中国政府による法輪功迫害で引き起こされた中国公民に対する傷害という真実である。この真実を前にして、私は胸が押しつぶされそうになった。
何よりも衝撃的なのは、この天理に背く人道上の災禍は過去のものにとどまらず、いまだに続いているのが知見されることである。見たところ近代都市風の烟台市に我々が着いてまもなく、現地では新たに10数人の法輪功学習者が言われもなく逮捕され、判決を受けていた。原因はただ、法輪功迫害の過程で人間性のかけらすら失った邪悪な当局関係者の名前が、何者かによってネット上に暴露されたことにある。
このことは地元当局を、目の前に大敵が出現したかのように、極度に慌てさせた。そして当局は、国家の安全を害するとの大義を掲げて、大規模かつ長期間にわたる取り締まりに全力を傾けた。こうして無辜の、しかし当局によって早々と「思想転化を拒否した」とレッテルを貼られた法輪功学習者が再度、刑務所に閉じ込められたのである。
中国人にとって、特に法輪功修煉者である中国人にとって、彼らの身体の自由、ひいては命すらも、実際のところ、得体の知れない恐るべき危険な状態に置かれている。当局が(彼らを)「安全ではない」と感じさえすれば、それが一部官僚の偶発的な恐怖症に過ぎないとしても、彼らの身に直ちに災難が降りかかってくる。
中国の現政権の歴史が証明しているように、当局あるいは誰か指導者が不安に陥ると、その恐怖を取り除くために、毎度決まって「敵対勢力」を捕まえる。すなわち「不安定要素を、その芽のうちに摘み取って、消滅させる」のだ。当局は、恐怖心を抱くか、または恐怖症になるとただちに誰かを捕まえるのである。
今日の中国では、当局は1年間で恐怖を感じない日は数日もない。それに伴い、逮捕の乱発がない日も年間に数日とないのである。
(続く)
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