高智晟著『神とともに戦う』(72)ギネス記録級の荒唐無稽ぶり②
【関連記事】
高智晟著『神とともに戦う』(71)ギネス記録級の荒唐無稽ぶり①
本案件で問題となっている家の所有権は、馮さんが有している。一切の権力に対抗できるはずのこの権利は、馮さんが先祖から受け継いだものである。先祖代々受け継がれてきた不動産の権利は、皇帝が支配していた時代にも、「極悪非道の旧社会」でも変わることはなく、それぞれの時代の権力の下で家が奪われるような災難に遭うことはなかった。
ところが、共産党が中国に政権を樹立し、いわゆる「人民が主人」となった「新社会」の到来から数年後、中国政府は「家の借り上げ」という名目で、1千万人が所有する不動産を無理やり占有した。いわゆる「家の借り上げ」とは、たとえ個人の不動産であっても政府が強引に接収し、その後、それを貸し出して、政府の言い値でつけた一定額の賃料を不動産所有者に分配するというものである。
2004年に、私は「国家が執行する土地建物借り上げ政策の法律的地位及びその解決への道」という文章を記した。その中で私は、法律、情理、契約それぞれの角度から、国が50年代から延々と、半世紀にもわたって「借り上げ」という名目で行ってきた私有不動産の強引な占有という事実の違憲性、違法性および天理・常識に背いている現状を包括的に分析した。
借り上げ政策が始まったことで、当時の憲法の原則は公然と破棄された。私有財産、特に私有不動産の所有権は、これまでどの王朝の時代でも、最も神聖で安定した権利だと見なされてきた。個人が所有権をもつ不動産を、国が当然のごとく強制収用することなどない。
これは最も基本的な常識なのである。(しかし50年代以来)国が強引に確立したこの「借り上げ」の関係は、まさに国が所有者との間に設けた強制的かつ脅迫的な関係である。つまり、所有者が他者に不動産を貸し出す際の権利と義務を、国が代って遂行するという内容の「契約関係」であるが、たとえそれが民事上の契約性をもつ関係であったとしても、一種の無効な関係なのだ。
強制的に、しかも一方が望まない状況下で結ばれた「契約関係」が法的効力を伴わないことは、現代のモラル社会の通例である。借り上げ政策の野蛮さや荒唐無稽ぶりは、それが確定した当初の完全な違法性だけにとどまらず、このような馬鹿げたことがずっと続いているうえ、いまだに無償で占有し利益を奪い、所有権者には一銭も利益を分配せず、返還にも応じず、無法の限りを尽くす野蛮性も備えている。
数10年間続いてきた中国政府の権力乱用の法則とは、最終的な目標達成のためには、どんなことであれ、法律の保証する公民の利益を奪うということである。これが最も顕著な特徴だ。借り上げの関係は、このような特徴における最も典型的な例である。個人の持つ不動産を政府が無理やり接収して他者に貸し出すが、その収益の大部分を政府が奪い、所有権者には微々たる額しか渡さないのだ。
これは、この世で最もゆがんだ公権力による運動が、「企み」に変異した姿なのである。しかしこれが荒唐無稽ぶりのすべてではない。政府のたわごとは、その後エスカレートしていく。政府は収益の大部分を横取りし、わずかな収益しか所有権者に渡さないやり方をしばし続けた後、今度はすべての収益を奪い、所有権者には一銭すら渡さなくなった。
だが、これでもまだ荒唐無稽ぶりの最高点には達していない。その後、国は開き直ったかのように、借り上げ住宅の所有権も不法に奪い取った。これこそ、荒唐無稽ぶりの絶頂なのである。
中国当局は各地で、「所有権はすでに国家に属す」と叫んでいる。しかし彼ら自身が掌握しているという不動産権が所属する書類資料は、いずれも所有権は個人に属し、国のものではないことを証明している。
だが最近、韶関市の馮さんの元で起きた事件で分かったように、この種の数10年来続けられてきたヤクザまがいの不動産の強制的占有における権利書の変更などは、(当局にとって)いとも簡単な小細工に過ぎない。
その小細工の前で、憲法、法律、モラル、情理などの一切は、懸念すべき障害にもなりえないのだ。本案件の原告である韶関市の建設局は、恥知らずにも、馮さんが代々受け継いできた不動産の権利を公然と自分名義で「国有」にした。
これほどの野蛮さと無茶苦茶は、中国でもこの分野ではめったに見られない。この政府部門は、所有権が含有する現代の規則、モラルや禁忌といったものをいささかも考慮せず、これをただ単純に権力運用の過程としてしか見ずに、馬鹿げた時代における最も馬鹿げた先例を作り上げたのである。
しかしこれは決して、馮さんが直面した最も理不尽なことではない。この馬鹿げた価値観を前にした裁判所の選択によっては、馮さんとその家族は、もっと馬鹿げた事態と向き合わされることになる。これは筆者の邪推ではない。この国の政府による必然の選択であり、馮さんと世の人々はまもなくそれを目にすることになるであろう。
2005年6月6日 北京にて
【関連記事】